〜過去〜
初めて出会った場所と変わらない、森の中。傍観者と化したオディオの目に、一人の女性が駆け込んでくる。すっと通り過ぎ、その後ろに立っている青年に向かって微笑みかける。
ごく普通の剣士。とりたてて特徴の無い朴訥そうな青年だ。
「ごめんなさい、少し遅くなってしまいました」
「いや、僕も今来たところだから」
お互いに非礼を詫びる。まるで逢瀬のような会話に傍観者はフンと鼻で笑う。
ゆらりと世界が動き、場面が変わる。
再び……今度はどこかの街。
食事を終えたらしい女が、後から来る男にまた笑いかける。
違う男。
いくつか、彼女の過去らしい光景が入れ替わり立ち代り現れるも、ともに行動している剣士は全て違う男だった。
(……随分軽い女だったようだな)
外見から抱くのイメージとは裏腹に、本質は程度の低い人間だったかと怒りに近い落胆を抱く。
始末するのに、なんら抵抗はなくなった。
やはり人間は浅はかで、つまらない生物だと、女を見限り元の世界に戻るべく意識を集中させる。
その耳に、ぽつりと残念そうな男の声が届く。
「ごめん」
その言葉に振り返ると……剣士が別の女性を伴って別れを告げていた。
(振られた?)
単純な青年のような発想に、その子どもじみた愉悦に自己嫌悪を覚える。
場面は鮮やかな絵本のように広がり始める。
女……ルレイシアはにこりと笑いながら応える。
「気になさらないで。少し辛いですけど、大丈夫です」
そこまでその青年を想っていたのだろうか……胸に過ぎる黒い気持ちにオディオははっとさせられる。
(今……私は何を……)
ゆるく頭を振り、雑念を払う。
「貴方がここで幸せを見つけることができたこと、それが私にも嬉しいのですから」
どこまでも自己犠牲の性格をしているなと呆れ返る。
そんなにその青年を想っていたのであれば、奪ってしまえばいい。恨み言の一つでもぶつければいい。なのに何故それをしないのか、オディオには不思議でならない。
「ありがとう。君も早く見つけられるといいね」
?
どこか、調子の狂う会話に、オディオは知らずのうちに拳を握り締めていた。
馬鹿馬鹿しい。不幸にした本人が、戯言を並べるとは。
「はい。ありがとうございます」
それを受け入れるルレイシアの甘さに、思わずこの世界を砕きそうになる。それがルレイシアの精神崩壊を招くと分かっていても。
「貴方のように、私も私だけの《誰か》に出会う日まで、旅を続けます」
ふわりと羽の様に柔らかなお辞儀に、青年とその新しい連れははっと目を奪われる。もちろん、傍観者ですらも。
「お二人とも幸せに。旅の空の向こうでも、お二人の永遠の幸せを祈り続けます」
さっと何かを切るような奇妙な仕種をする。おそらく祝福を与えているのだろう。それを見た二人が照れくさそうに笑ったのだから。
二人は街に残り、ルレイシアは街を去った。
傍観者はそのまま留まり、二人の様子を伺う。
ルレイシアの記憶にはないはずの光景。時間を越える力を持つオディオだけが知る世界。
「ね、本当によかったの……あなた、あの人のこと好きだったんじゃ? あたしなんかより、ずっと美人だし」
オディオの目から見ても、その女性は確かにとびきりの器量よしというわけではない。比較する相手が悪いのだから仕方ないかと苦笑する。
「まぁ……見た目はそうかもしれないけどさ」
正直に答えたため、男は思いっきりその腕を抓られる。
「いたたたっ……いや、ごめん、悪かったって……彼女はさ、俺のことをただの用心棒以上には絶対見てなかったよ。そういう意味で、すっげー冷たい女だったなぁ」
「そう? すっごく優しそうだったけど」
「義務的にね。人間味はあんまり感じなかったよ……だからちょっと怖かった」
ぎゅっと恋人の肩を抱きしめながら、続ける。
「常に魔物に狙われる特性がある……聞いたことあるだろ、《運命の血》を持っているんだよ、彼女」
「……あなた、よく無事だったわね」
この世界では、ルレイシアの持つ特性はごく当たり前の伝説として伝わっているのか……オディオはそろそろルレイシアの記憶を追いかけるかと、二人に背を向ける。
「彼女は《誰か》に出会うまで、ずっと戦い続けないといけない。彼女と一緒にいるといい修行にはなるけど、身体が持たないよ……並の強さじゃ彼女を守れないね」
「だから《運命の血》を使うんじゃないの?」
ははっと力なく笑う。
「俺は魔物じゃない。涙や血を啜ってまで強くなる必要は無い。君を守れるぐらいには強くなったつもりだけどね」
幸せそうに消えていく二人の声が次第に遠くなる。
誰かを守れる強さ……。
くっと低く唸るとそのままルレイシアの影を追う。
再びどこかの森の中。一人の青年が魔物に止めを刺す。
「お怪我はありませんか?」
尋ねながらも、回復の祈りを捧げる。
少し疲れた様子を見せていた青年は見る間に元気を取り戻す。大小様々な傷は、あっという間に塞がってしまった。
「……噂には聞いていたけど、あんた、ホントにすごい魔道士なんだな……」
賞賛の言葉にくすくすと笑って応える。
「たいしたことではありません。人は皆、それぞれが何かを守れる強さを持っています。私の場合、守る相手がきっと大きすぎるのでしょうね。分不相応な力を持って生まれてしまった……それだけです」
「へぇ……残念だけど、俺じゃないんだよな、それ」
微かに棘のある響きにオディオは眉を上げる。気づいてか気づかずなのか、ルレイシアは少しだけ身を引き気味に応える。
「いつか、貴方が守らなければならない誰かに出会えます。お互いに守りながら生きていく、そんな人にです。私なんかより、ずっとずっと素敵な人に出会えますよ」
今までだってそうだった。これからもそうだと伝える。
「……ずっとあんたは、誰かが幸せになっていくのを見送ってきたのかい」
「はい。この旅は普通の方には過酷です。でも今まで私の護衛を買って出てくれた方は皆、素敵な方と出会って、その方を守れる強さを手に入れられたことに感謝してくださいました」
すっと天を仰ぐように、視線を高く上げる。
「私は、たくさんの剣士の方を死地に導きました。だからせめて、その方の運命の人に出会えるように祈りながら生きてきました……その願いが叶い続けていると信じないと……とても辛いです」
再び青年に視線を落とす。
「わがままでしょう? それでも、私の護衛を引き受けてくださるのですか?」
天上の女神もかくやというような笑顔で頼まれて、拒絶できる男はいまい。つくづく隠れた悪女だとオディオは嗤う。
青年もまるで壊れた操り人形のようにかくかくと何度も頷いた。
腕試しになるからと、彼女の護衛を引き受ける男は例外なく疲れ果て、安住の地を求める。その先で必ず自分と馬の合う女性にめぐり逢うのであれば、飛びつくのも無理は無い。
《運命の血》を持つ女性とともに旅をすれば、剣士として一流というだけでなく、生涯の伴侶にも必ずめぐり逢うというというのは誇張かもしれないが、気休めにしては美味しい話にも聞こえる。
人の噂は無責任に飛び交うもの。
ルレイシアがどれほど長い間旅をしてきたのかは分からない。
時の権力者から逃れるために、力の亡者となった人間から身を隠すために……人里にはあまり近づけない彼女の関する噂は、決していいものばかりではない。
護衛の剣士など建前で、ただ遊ぶために連れて歩いているだけだとか、彼女自身が魔物で、剣士は生贄であるとか……悪意に満ちた噂は彼女に出会った瞬間に氷解する。
人里に近づかないのは魔物を呼び寄せないため。
一所に定まらないは人間の権力争いに無辜の民を巻き込まないため。
凛然とした眼差しは常に世界の平和を願い、曇ることは無い。
自分が守るべき誰かに出会うために、その男こそが。
「世界を……変えるから、か」
日が落ちて、焚き火を囲みながら二人が話している。
オディオはなんとなくその光景を木にもたれかかりながら見物していた。
「世界を動かすほどの力……そう言われています。世界の命運を担うほどの重い定めを負う方……私が想うからその方が世界を負うのか、世界を負うからこそ私が想いを寄せるようになるのか……それはわかりません」
ぱちんと木が爆ぜる。
「世界と言っても……ほんの街一つだったり、あるいはこの世界そのものだったり、別の世界かもしれません。規模は問題ではないのです。世界といっても例えにすぎません。世界とは人。多くの人に影響を与える誰か……その誰かを私は探している……」
青年は肩を竦めて手に持っていた小枝を火に放り込む。
「ぼんやりしてるよな。誰なのかもわかってないんだろ」
「はいそうですよ。それに出会うかどうかも分かりませんし」
さらりと肝心なことを言ってのけるルレイシアにがっくりと項垂れる。記憶があるころからどこかとぼけていたのかと傍観者も肩を落とした。
「なんだ、それ」
「そこまで誰かが定めた運命通りに進むのは私も厭ですもの」
空に浮かぶ月を眺め……また焚き火に視線を落とす。ゆらりと揺らめく炎が蒼い瞳に映りこみ、神秘的な光が宿る。
「私は勝手に誰かを好きになります。その方が世界を動かそうと動かせまいと、知りません。心まで運命に縛られるのは厭です。《運命の血》を持つからって、生理的に好まない方まで愛せるものですか」
ごく普通の娘のように、熱く恋愛論を語りだしたのに驚いて、青年は呆気に取られる。
「あ……えーと、俺がばあちゃんに聞かされた《運命の血》の話と、ちょーっと違うような気がしてきた……」
呆れかえる青年に向かって、優しそうな母親の笑みを浮かべる。
「神様に愛された娘は、運命に愛された勇者様に血と涙とに願いをこめて、力を分け与えます。ただ一人の勇者様のために生きている娘は、ただその勇者様を愛するために生まれてきたのです。勇者様も娘を守るために誰よりも強くなるためがんばります。世界と娘を守るため……」
子守唄のように朗々と語る言葉に、青年は懐かしそうに目を細める。この世界の子どもたちが一度は耳にする昔話。
「《運命の血》の物語はよくある英雄伝説の一つですものね。ただ、こうして私が存在するのか……ただの絵物語でない証……」
すぅっと一呼吸置くと、まるで歌うように物語の続きを謳う。
どんな吟遊詩人の語りよりも美しく、心に響く甘い調べが流れる。
「世界を守るよりも、娘を守ることが大事と勇者様は告げました。
娘の力は勇者様以外の……怖い魔物や悪い人間たちにも力を与えてしまうからです。
娘は何よりその言葉を歓びました。
でも周りの人達は許しませんでした。
娘の血と涙を得て、怖い魔物を倒してくださいと、願うのではなく
倒すべきだと命令したのです。
勇者様は怒って世界を捨ててどこかに行ってしまいました。
娘は悲しんで心を閉ざしてしまいました。
世界は何度も壊れて、命はたくさん失われてしまいました。
もう一度だけ娘は勇者様を探すことを決めました。
勇者様は探しにきた娘に約束しました。
お前の力がなくても、強い自分になる。
勇者様に必要なのは、娘の力ではなく娘の愛。
こうして勇者様はもう一度世界を守りました」
昔を思い出したのか、青年はそのまま眠りに落ちていった。
その姿を悲しそうにルレイシアは見つめる。
「……ごめんなさい。貴方を巻き込んでしまって……」
ぎゅっと自分自身の身体を抱きしめる。
「私の力は、誰もが望む強い力を与えてしまう……だからこそ、私の力を必要としない誰かに会わなくてはならないのです……それが誰なのか分からない……私が選択を誤れば、世界が滅ぶのは……本当なのです……」
先ほど、努めて明るく、決められた相手とは逢いたくないなどと他愛の無いことのように言ってのけたが、その奥に秘められた不安にオディオは怪訝そうに眉を顰めた。
静かに、青年の眠りを妨げないように物語の続きを歌う。
「ある時のある世界、
神様に愛された娘が生まれました。
娘は勇者様に出会う定めを告げられて、怒ってしまいました。
最初から決められた運命の人なんて厭なの、と
娘は心に逆らって、勇者でない男と添い遂げました。
すると見る間にその身体は石になり
世界からは次々命が失われてしまいました。
想いの届かないことを知った勇者様が
遠いどこかの空で魔王になってしまったからと、
人々は世界が蘇るその日までずっと嘆き暮らしました……」
焚き火の炎が風で強く揺れる。
オディオはしばらく身動きをとることすら叶わぬまま、ただ静かに夜が更けるのを見送った。