〜邂逅〜

 剣を振り下ろすと同時に命の一つが消える。
 いずこともない時間と世界の戦場に魔王が降臨する。
「ヒィィィィッ!」
 つい先ほどまで、無抵抗になっていた敵兵士を嬲るように殺していた男は、泣き叫びながら逃げ惑う。
 かける言葉も無い。
 虚空を切り裂くように振り下ろされた剣は遠く離れた男の四肢を切り裂く。

 返り血を疎ましそうに見下ろし、翼を広げる。
 何故か、心のどこかで何かが落ちたような気がして、突き動かされるように転移した。

 居城に戻るとゴーストたちがそわそわと動き回っている。
「なんだ……鬱陶しい」
 叱責を恐れてか、ゴーストたちは部屋の隅へと逃げ惑う。

(・・・・?)

 奇妙な違和感にぴくりと身体が動く。
「ルレイシアはどこだ?」
 気配がない。
 感情を持たないはずのゴーストたちでさえも、怯えてしまい彼岸と此岸の狭間へと逃げ込む。

 逃げ出した……?

 さっとマントを翻し、漆黒の闇に身を落とす。

 いくつもの世界と時間を繋ぐ漆黒の空間。明滅する光に浮かぶ様々な世界。力を取り戻しつつあったルレイシアがここを使いどこかへと逃げ出した可能性はある。
 しかし痕跡はどこにも残されていない。
 いや……ひどく近くに、今にも消えそうな頼りない光が見える。

 再び一つの世界に辿り着く。
 そこは居城の真上……つまり、魔王山の頂上。
 ふわりと、風に揺れる髪の色は……黄昏時のような薄く淡い紫色。

「……!」

 高貴なものでなければ手に入れることの叶わない無垢さと優美さ。
 多くのものに愛され、大切にされてきたからこそ得られる、子どものような無垢な笑顔が、オディオを迎えていた。
「……あ……アリシア……?!」
 狼狽するオディオに優しく手を差し伸べる。
「やっと、来てくれたのですね」
 熱に浮かされるように……その手を取り、引き寄せる。
 温かい。
 この温もりを得られると思って戦ってきたことが思い起こされる。
 いや、今こそ得たのだ……。
「信じていました。きっと、貴方が来てくれると……」
「アリシア……」
 微かに熱を帯びた女の声に、いろんな感情が溢れ出し、言葉が継げない。名前を呼ぶだけで、こんなにも幸せな気持ちになれるとは夢にも思わなかった。
「さあ、帰りましょう。オルステッド……私たちの城へ」

 帰る?

 既に彼女の……自分たちの城はない。
 崩壊した世界にはあるのは無人の廃墟だけだ。
 それでも……彼女が一緒ならばそれでいい。

 彼女が?

 オディオは項垂れたままとん、とアリシアを押し戻した。
「茶番は、止めろ」
 悪酔いのような不快な頭痛と吐き気がオディオを襲う。アリシアは訳が分からないといった面持ちでこちらを見つめている。
「オルステッド? どうしたの……一緒に……」
「……ルレイシアはどこだ」
 喉の奥がじりじりと痛む。目の前の女が……疎ましい。
「そんな子、ここにはいないわ。いるのは貴方と私だけ。さあ……」

『私は、たくさんの剣士の方を死地に導きました。だからせめて、その方の運命の人に出会えるように祈りながら生きてきました』

 過去の記憶で見た、ルレイシアの言葉が蘇る。

 お前が望んだのか?
 全てを取り戻し、自分に殺される前に立ち去り……この女を寄越したというのか?

「違うな」
「え?」
 ぽつりと小さく呟いたオディオにアリシアは顔を上げる。
「お前は、運命に呪われた女だ。いや……魔王に、我が友に呪われた、哀れな女に過ぎない」
 びくりとアリシアの顔が歪む。
「私を……見捨てるのですか?」
 縋るような表情にも、もはやオディオの心を動かすことは無い。それを悟ったアリシアは感情を爆発させる。
「やっぱり貴方は魔王だわ! 私たちを死んでからも苦しめて……」
 ぐっとオディオの腕を掴む。
「オルステッド……死ぬべきは貴方よ……私たちじゃなかった……!」
「……もはやお前にその名で呼ばれたくはない……大人しく牢獄に還るがいい……!」
 その腕を掴み返すと、魔力を送り込む。美麗な相貌はあっという間に崩れ落ち、その姿がぼろ布のように雲散霧消する。

 あの日、婚姻が決まったその時も、大した感情は持っていなかった。流されるままに決められた道に、為す術もなかった。
 それでも……あの愛くるしい笑顔は賞賛に値すると……まっすぐ、一途な瞳は、いつの日か愛おしいものに変わるだろうと……信じていた。

 心の無い想いは、多くのものを傷つける結果に終わった。多くのものを失う結末を見た。
 限りない力を得た代償に、大切なものを失った。

「ストレイボウ……貴様もいつの間にあの牢獄を出た?」
 冷淡な宣告に魔王像が揺らめき、黒い炎が舞い降りる。
『お前を信じると言った女をわざわざ殺すこともあるまい……やはりお前は俺以上の魔王だよ……』
 魔王像の前に降り立ったのは、蒼いローブに身を包んだ若い魔道士だった。
 かつてオディオが友と呼び、ともに切磋琢磨しあう仲として認めあったと……少なくともオディオはそう信じていた男。
「久しいな」
 白々しく久闊を叙する男にオディオは嫌悪の眼差しを向け、静かに剣を抜く。
「穏やかじゃないな……」
 苦笑に対して、オディオは舌打ちで応えた。
「お前に力があることは認める。だが魂だけの存在になって、あの牢獄を抜け出せるとは思っていない」
「過信は身の破滅を呼ぶ。それだけさ」
 ゆらりとローブが揺らめき、どさっとオディオの足元に何かが転がる。
「!」
 心臓を鷲掴みにされたような心地に表情が強張る。血の気を失ったルレイシアがぐったりとしている。純白だったドレスには赤黒い染みが点々と付いている。
 剣を捨て、ルレイシアを抱える。
「ルレイシア……! どうして……」
 意識が朦朧としているのか、視線はいつになく定まらない。
「この女はあの牢獄に来たときに気づいたんだ。俺やアリシアがお前に対して後悔の念を抱いているとね。だから自ら招いたのさ。お前に償いをさせるために……お優しいお姫様だよ、全くな!」
 介抱しようとするオディオを嘲笑うかのように、鋭い氷の刃がルレイシアの腕を切り裂く。オディオの絶叫が暗く重い雲の立ち込める魔王山の空に吸い込まれる。
 その血が霧のように広がり、ストレイボウの身体に吸い込まれていく。
「力を欲するものは誰でも勘付く……《エンハンス・ブラッド》って奴だろ?」
 ふわりとルレイシアを切り裂いた氷の刃が浮かび、ストレイボウの手の中に納まる。刃に付いた血をぺろりと美味しそうに舐め取る。
「お前も、その女も、最後の最後で間抜けなんだ……お前に対して後悔? しているさ……」
 ぎゅっとオディオはルレイシアを抱きかかえる。その姿を忌々しげに睥睨しながら、ストレイボウは言葉を継いだ。
「お前は生きて……新しい女を手に入れた。力も、世界も……そう、お前にまた負けたという後悔が……死してなお、お前の力に苦しめられる恥辱が全てだ……」
 圧倒的な質感がストレイボウの身を包み込み始める。すぐ身近にある巨大な悪意に、腕の中のルレイシアが震えた。
「大丈夫だ」
 強く、しっかりと抱きしめる。
「お前は、死なせない」
 ゆっくりとルレイシアを立たせる。軽く目を閉じると……その背中からは深紅の翼が現れる。高くかざした手に握られたのはいつもの長剣ではなく、意匠を凝らした、並の筋力では持つことすら叶わないだろうほどの大降りの剣……バスタードソードによく似た外見だが、秘められた力はただの剣ではないことを物語っている。
 かつては魔王を倒す聖剣として……いまはオディオの力を受けとめることのできる唯一の剣として現世に姿を留める魔剣……ブライオン。
「誰にも殺させない。お前を殺すのは、私だ」
 絶対の宣告にもルレイシアは動じることはなかった。その言葉の奥にある声に気づいていた。
「はい」
 力強い返事と、息を呑むほどの美しい笑顔にオディオは満足げに頷いた。
 ルレイシアもまた、すっと手をかざす。一瞬の輝きの後、傷の癒えた腕に愛用の杖が握られていた。
 今までごく普通の杖だったそれは、封印が綻びつつあるルレイシアの魔力を受けて、本来の力を取り戻し始めていた。
 聖杖ケーリュケイオン。世界の命運を左右できる乙女だけが持つことを許される絶大無比の杖。

 巨大な憎悪の力により、魔王山が打ち震える。
 それはまるで、全ての世界の悪意を一身に受け喜びに震えているようでもあった。