〜魔王達の黄昏〜
黒き炎が降り注ぐ。魔力の気配を感じ取ったルレイシアは素早く結界を展開した。全ての炎が弾かれ、辺り一面を焦がす。攻撃の手が止んだことを察知し、結界を解くと別の魔法を唱える。
淀みなく流れる詠唱はオディオの身体の隅々にまで行き渡る。
とんっと軽く飛翔すると、一陣の風となってストレイボウの目前に迫る。そのまま大きく剣を振り下ろすが、漆黒の霆が剣を弾く。跳ね飛ばされる寸前にストレイボウはオディオがにっと嗤ったのを見た。
ふわりと乙女がストレイボウの背後に舞い降りる。今だ定まることの無い視線は当ての無い空間を見つめているが、敵は……見定めている。
「光の精霊……!」
ぱっと光の珠が弾け、ストレイボウの身体を容赦なく打ち付けていく。しかしその全てが闇色の靄にかき消されていく。手ごたえが無いことに気づいたルレイシアは素早くオディオの側に転移した。
傍らに現れたルレイシアを片腕で抱き上げると大地を切り裂く勢いで剣を振り下ろす。威力の余波が魔王像さえも震えさせる。
「させるかぁ!」
巨大な嵐が二人の目前に迫る。剣の威力とストレイボウの魔力が真正面からぶつかり、轟音を上げて爆発する。
オディオは翼で身を包む。さらにその上からルレイシアが結界を張る。
しばらくして……静まり返った山頂に、悠然と立ち尽くすストレイボウにオディオは強く舌打ちした。剣を構え直すと再び大地を疾走する。下段からの斬り上げ、間髪をいれず袈裟懸けに斬り下ろす。水平に薙いだ一撃を霆で弾くことなく後方に飛んで躱したストレイボウに高く飛翔し追いすがるとそのまま突き刺すように振り下ろす。
すっと影に沈み、ストレイボウの姿が消え、大地にブライオンが突き刺さる。
「うぉぉぉぉぉおおお!」
人知を超えた膂力でそれを引き抜くとその勢いを乗せて振り返りざまに空間を切り裂く。
鈍い音を立てて空間の狭間にいたストレイボウが魔王像に叩きつけられる。
しかし。
カッと憎悪に燃える双眸を見開き、ストレイボウは魔力を解放する。
魔獣の凶牙がオディオを噛み砕き、氷海の烈風がルレイシアを切り裂く。
流れ落ちる血は……ほんの一瞬で止まる。それどころか疲労感も一瞬で吹き飛んだ。さっとルレイシアの姿を探すと……自身は今だ血に濡れたままだ。
「もう少し自分を気遣え!」
「厭です! 私は貴方がどれだけ傷ついているのか見えません! だから、今使える全ての力で、貴方を守りたいんです!」
「素晴らしい」
ふわりと蒼い影がルレイシアの前に下りる。溢れるほどの巨大な悪意にルレイシアはびくりと身じろぎし、凝固する。
ぐいっと無理矢理顔を引き上げ、柔らかな唇から零れ落ちる血を拭うと、そのまま指をねぶる。
「貴様……!」
心の底から沸き起こる屈辱感に身を震わせる。そのオディオを一瞥するとまるで小さな虫を払うように手を動かす。暴風がオディオの身を切り裂きながら吹き飛ばした。
「お前を守りたいそうだ……いい身分だな。オルステッド……貴様は何も守れないくせに……何一つだ!」
ルレイシアはぎりっと歯を食いしばり、がむしゃらに杖を振り上げる。当然掠りもしない。ストレイボウの哄笑が魔王山に響き渡る。
「しかし残念だ……お前を殺すことができればさぞ心地いいだろうに……」
腕を掴み上げると顔を真正面に持ってくる。
傷つきながらも輝きを失うことの無い美貌は、悲壮感を伴い、いつにも増して胸を掻き毟りたくなるほど狂おしい美しさを齎している。憎悪に身を委ね、心を殺してしまった男にすら届くかけがえの無い輝きだ。
しかし、どこを見つめているのか分からない瞳は、自身のことよりも、必死になってオディオの姿を追いすがっている。それがストレイボウの癇に障る。
「今はお前の力が必要だ……オルステッドを倒した後ならば、お前の力に用は無い。それまでは俺のために生きていてもらうぞ……」
「……そうですね」
今だ視線はオディオの姿を追っている……だが、ある一つの意思はストレイボウに向けられている。
「オルステッド様のいない世界に、私も用はありません。オルステッド様のあるかぎり、私は生きます。でも……あなたなんかのためじゃない、オルステッド様のためでもない……私は私のために生きます」
ふわりと手の中に聖杖が戻る。
「私、わがままなんです。特に、他に思い定めた方のいらっしゃる殿方と手を繋ぐなんて、馬鹿にされている気がして、大嫌いなんですよ?」
びょこんと炎の精霊が現れ、魔力が一気に爆発する。至近距離で大技を仕掛けられ、さしものストレイボウも無傷とはいかなかった。
大きく咳き込むと血の塊が飛び出す。ルレイシアは深呼吸をして軽く傷をふさぐ。魔力を疲弊し、なおもオディオのために温存するとなるとこれが限界だった。
ざわざわと無数の魔物、怨霊、死霊たちが魔王山に集いつつある。
《エンハンス・ブラッド》の乙女がかつて無いほどに血を流し、大地に吸わせているのだ。魔物たちの歓喜する声が潮騒のように迫る。
膝を突いたまま荒い息をするオディオは忌々しげに唾棄する。
「雑魚どもが……」
「当然だ……力を求める者が常に勝者たりうる。お前だってそうだろう」
いつの間にか接近を許していたことにオディオは驚き、すぐさま剣を突き上げる。むなしく虚空を薙いだそれを翻し、低い体勢からの水平斬りで足を狙うがやはりひらりと躱される。立ち上がりざまに左手で牽制の裏拳を顔面にめがけて打ち、少し体勢が崩れたところを狙って剣を真っ直ぐに振り下ろす。
ぴたりと剣は寸前で止められた。
ぐったりと気絶したルレイシアを盾のようにかざし、ストレイボウはにやりと嗤った。
「どうした? 殺せばいいじゃないか……お前には必要ない。それとも俺と同じようにこの女の血を得るか? 今以上の力を得られる……その歓び、お前にわからぬわけではあるまい」
脳が痺れるような感覚にオディオは低く呻く。
唇から一筋の血が毀れている。
それが、どんなワインよりも芳しい美酒のように映る。
まるで操られたように、ふらふらと手を伸ばす。
『勇者様は探しにきた娘に約束しました。
お前の力がなくても、強い自分になる。
勇者様に必要なのは、娘の力ではなく……』
耳朶をしっとりと打つ、優しい歌声が聞こえた気がした。
がくりと膝を突き、項垂れる。惨めで哀れな姿にストレイボウは愉悦で身を震わせた。
だが……みしりと、ストレイボウの全身の骨が砕けたのではないかというような、大きな軋む音が響く。
膨れ上がる暗黒球はストレイボウの身体だけを確実に蝕んでいく。
大地に剣を突き刺し、それを支えにして力尽きたかのように見えていたオディオの全身から、ゆらりと闘気が立ち上る。
「や……やらせるか……貴様一人を……生かすものか……!」
ふわりと風を巻き起こし……ルレイシアを眼下に広がる大地へと突き飛ばす。
「!」
風を切る勢いで翼を広げ、追いすがる。暗黒球は飛散し、身体のあちこちが無残に砕けた姿のストレイボウが現れる。
「死ね……!!!」
銀色の魔獣が深紅の翼を食いちぎる。
「ぐぁぁぁぁあ!」
気を失いそうになる意識を無理矢理引き寄せ、大地を蹴る。
中空に身を投げ出されたルレイシアを掴むと力任せに抱き締める。そのまま糸に引かれる様に地上へと落ちていく。
どさりと……不思議と痛みの無い着地にオディオは死の訪れとはこんなものかと拍子抜けする。
冷やりとした感触は、想像していた死の世界に近いと自嘲する。
呆気ないものだ。魔王などと呼ばれた自分が……最後は人間のために死ぬのかと。
「!」
背中に走る鈍く重い痛みに我に返る。死して後も痛みを引きずるとは……いや、違う。
辺りを見回す……目の前にはぼろぼろに朽ち果てた墓標が一つ。止むことの無い雪に埋もれ、殆ど字の判別などできない。
遠くに霞む灰色の山に、オディオは完全に自分がどこにいるのか諒解した。
真白の雪はオディオの血を歓迎するように吸い込んでいく。
「……お前が、やったのか?」
今だ腕の中の乙女は目覚めない。血の気をすっかり失い、浅い呼吸を繰り返している。
「逃げ足が早いのは相変わらずだな」
ゆらりと青色の炎が揺らめき、かろうじて人の形を取っているだけの幽鬼が嘲笑う。
「さすがは《エンハンス・ブラッド》だよ……俺がこうしてまだいられるのはその女が生きている証拠さ。感謝しろよ?」
背中を向けたまま、オディオは何も言わない。
「さてと……その女を渡してもらおうか。お前には必要ない、そうだろう?」
血を求めることなく、涙を啜ることもない。ならば、魔王には不必要の存在。
「俺には必要だ……そう、世界を変えるために……お前を越えるために……!」
ざっと踏み出したストレイボウの全身を、六本の刃が突き刺さる。
「が……はっ……」
どさりと雪の中に沈む。いまだ背を向けたままのオディオに縋るように手を伸ばす……しかしそれもやがて、淡い光を放って消えた。
「お前は……アリシアを私から奪った」
ぎゅっと眠り続けるルレイシアを抱き締め、目を閉じる。
「その上、ルレイシアまで奪うことは許さない」
ゆっくりと、瞳を開く。その目から一筋の光が毀れる。
「……さらばだ……友よ」
そっと優しい手が頬を撫でる。
「……泣いておいでなのですか……?」
消え入りそうな儚い声にオディオは小さく震えた。
「雪だ……気にするな」
「嘘ばかり」
くすっと笑う。的確に……その涙を拭う。
「初めまして、オルステッド様」
その言葉に、仕種に……オディオは悟った。
「全て……取り戻したか」
「はい」
長い間願っていた瞬間が訪れた。
そう、待っていたはずだ。
ようやく、殺すことができる……はずだ。
たくさんの希望を思い出した、哀れで愚かな人間を、この地上から一人減らすことができる。
できる……。
「綺麗な……赤い瞳……」
儚くも愛らしい声にオディオは上の空で応える。
「お日様みたいな、綺麗な金色……」
色を、世界を、そしてオディオを見ることができたのが嬉しいのか、ぽろぽろと涙を毀す。
「お声の感じや、雰囲気で……きっと素敵な方だろうって……思い描いていました。でも、想像していた以上に、素敵な方で、安心しました」
少し照れたように……寂しそうに微笑む。
「貴方が望むままに……そして、それは私の望み」
とんと身体をオディオに預ける。
「役目を果たせない《運命の血》を持つものは、死する運命にあります。ならばその手で……貴方の望みを叶えてください」
やはりこの女は知っていた。
自分の望みを。
オディオは声に導かれるように黙したまま虚空から短剣を生み出す。
すうっと眠るように目を閉じたルレイシアを見つめ……短剣を振り下ろす。
真っ直ぐに降ろされたそれは……何も無い地面を突き刺した。
「……私に、命令するな」
しっかりと抱き締め、震える声で告げる。
「いつ殺すか……私が決める。それまでは何があってもお前を死なせない。私以外にお前を殺させない……《運命の血》など知らぬ……お前が石となるならば……その時はそんな運命を生み出した神とやらを殺すまで……っ!」
背中から零れ落ちる血とともに、意識が朦朧としてくるのを必死で繋ぎとめる。
「死なせない……渡さない……お前の血も、涙も……何人にも渡さぬ……」
涙を優しく拭うと、そのままそっと顎を支えて唇を重ねた。