〜食事〜

 女はちょこんと大人しく座り、食事が来るのを待った。男はその前に座る。
 ゴーストたちが手際よく料理を並べていく。
 食材はかつて彼らが生きていた時代から持ってくる。男はゴーストたちにかつての時代に戻り、生きた人間の姿を取って買い物を済ませてくる程度の能力を与えている。
 その時代の者たちにしてみれば、「時々妙に顔色の悪い客が来る」程度の違和感しかない。
 だがそうまでして欲するものなどワインとそれに合う軽い食べ物だけだ。生命を繋ぐための「食事」を必要としない身体なのだから。
 今も女の前には小さく刻んだ肉の入ったサラダ、かるく焼いたパンにコーンスープと線の細い女性が好むような食事が並んでいるが、男の前にはワインがあるだけ。ゴーストたちは主人と客人の好みを察知し、的確な食事を用意している。
『あの……』
 呼びかけても届かない。前に座っているらしいことは分かるが、注意を引くために呼びかけが使えないことに気づき、申し訳なさそうにとんとんと軽くテーブルを叩く。
「なんだ」
『食事……済まされたのですか?』
 おかしなことを聞くものだと男は眉を顰める。もっともその様子は女には分からない。
「必要ない」
 距離感と物音で自分の前に料理がないと判断したのだろうが、説明するのも億劫だ。無理に取る必要の無いものに、行動を起こす気にはなれない。簡潔に事実だけを伝える。
『そうですか……』
 単に「食事を済ませた後」とは考えなかったようだ。
 この世界の異質さと男の持つ「ヒトならざる力」を感じたのか……女は俯いてしまう。
「気にするな。それより飢え死にされても迷惑だ」
 吐き捨てるような物言いだが真実。この女には「全てを取り戻してもらう」という役目があるのだから。
『一人で食べるのは気が引けます。でも……貴方には必要ないのですね。それが少し、残念です』
 能天気なのは、元からなのだろうか。
 あまりに気の抜ける言葉に『読む』のもいたずらに疲れた。
「いいからさっさと済ませろ。まだ話がある」
 こめかみに力が加わるのを感じながら、それでも男は冷静に言い放つ。
 目が見えないため毀したり、倒したりしないよう慎重に食事を進める。的確にどこに食器を置いたのか把握していないとテーブルにフォークを突き刺したりしかねない。
 もどかしさに女は時折悔しそうな表情を浮かべるが、それでも呪詛じみた悪意の言葉をあげることなく食事を終えた。
 ゴーストたちは素早く食器を片付け、最後に新しいワインを用意する。

「自身のことはどの程度分かる?」
 気がつくと空になっていたグラスを軽く持ち上げると、心得たゴーストが的確に注ぐ。
『思い出せません。名前も、どこにいたのかも……魔法は、あの時……』
 自分の身に迫っていた危機を思い出したのか、さっと血の気が引き、自分の体を抱きしめる。
『あの時、必死に祈ったら……出せたんです。だからよく分かりません……』
「お前の服は薄手のローブで、上物だ。造りは意外としっかりしているようだから、旅をしていたのは間違いあるまい」
 旅という言葉にじっと考え込む。だがやはり何も思い出せないのか苦しそうに頭を振る。
「無理はするな」
 すぐに思い出されてもつまらない。もう少し楽しませて欲しいという言外の声は女には届くことはない。
『あの、どうして助けてくださったのか、ここまで面倒みて下さるのか、理由は聞きません。でも……』

 口に含んだワインの味が、一瞬で消える。

 花が綻ぶような笑顔というのは、きっとこういうものなんだろうと……青臭い考えが過ぎる。
 
『ありがとうございます。そしてこれから少し……いえ、たくさんご迷惑をおかけするかもしれません。精一杯貴方の心に負担にならないよう、頑張ってみます』 

 こんな状況で、どうして笑うことができるのだろう。

 どこまで、無防備なのだろう。

 こいつは……こいつ?

「名前もないというのは不便だな」
 唐突な言葉に女はきょとんとする。
「使用人どもも不自由する」
 その表情に慌てたように理由を付け加える。ゴーストたちには必要ない。自分と自分でない人間という区別さえつけば、ゴーストたちは一向に構わない。彼ら自身には固体識別がない。
 それでも、彼女を呼びたいと思ったのだ。
 この愚かしいまでに実直な女を……名前で呼びたいと。
『それでは貴方が呼びやすいように名前をつけてください。私には何もありませんから』
 寂しそうな笑顔もまた、驚くほど美しい。
 あの漆黒の虚無はなんて人間を呼んだのだろう。

(まさか……な)

 かすかに過ぎった考えに、男は恐怖にも似た感覚を覚え振り払う。
 あってはならない、絶対に。それを認めることは自己存在の否定に繋がるようで、久しく感じたことのない喪失感に怯えた。

「……ルレイシア」
『?』
「古い言葉だ。意味は……忘れたな」
 覚えている。忌々しい言葉だ。だが、つい口に出たそれが、あまりにぴったりと彼女に合う。いまさら引っ込めるわけにもいかない。
 女……ルレイシアは幾度か口の中で転がし、反芻すると晴れやかに笑った。
『素敵な響きです。ありがとうございます……』

 その次の言葉を読み取り、男は全身が震えるほどに驚愕した。

『オルステッド様』