〜覚醒を呼ぶもの〜

 言葉を交わせるというだけで、今までとは過ごし方が変わった。
 些細なことに声を出していたのだと改めて思い知らされる。躓いたり、背伸びをしたりするたびに、自分の声でない音が部屋に響くというのが慣れないうちは耳障りでもあった。
 しかし意思の疎通が図り易いのはやはり便利だとも思う。

「寝台……ですか?」
 朝食の時間。異国の飲み物である珈琲を嗜みながら、オディオは言葉を続ける。
「そうだ。お前が来てからずっと私がどこで休んでいると思う」
「……ご、ごめんなさい……っ」
 ソファか揺り椅子で休んでいることを思い出したルレイシアは泡を食ったように口早に謝る。
「じゃあ今度からは私がソファで……」
「それでは何の解決にもならない。あまり寝心地のいいものではないぞ」
「でも……」
 その言いようでは、解決策として用意しているものが一つしかない。そのことに思い至ったルレイシアは真っ赤になりながら答える。
「幸い寝台は十分に大きい。お前は落ちないように壁側に眠ればいい」
「あの……」
「誓って、手出しはしない。お前を守るという話は本当だ」
 絶望に突き落とすには、もう少し「幸福」に近づいてもらわなければならない。
 それまではガラスケースの人形のように丁重に扱う。それは違えようの無い誓いなのだから。
「はい。あの……でも」
 女であるゆえの不安が尽きないことは認めるが、いつまでも引きずられるのは面倒だと、苛立ちを露にして応える。
「まだ何かあるのか」
「あります。大切なことです」
 ぎゅっと手にしたフォークを握り締める。
「夜中に、蹴ってしまっても、怒らないでくださいね。私、結構寝相悪いみたいです」
 ……いつもベッドメイキングしているゴーストたちが忍び笑いしている気がして、オディオはチッと舌打ちすると珈琲を飲み干した。

 気晴らしになればと、ルレイシアを連れて外に出る。そこは真冬に閉ざされた世界の中で唯一春を保つ草原だ。
 新緑の香りに歓声を上げる。
 久々に訪れ、オディオ自身も草を踏みしめる感触にしばしの安らぎを味わう。
 手探りで花々を味わう表情が少しだけ翳る。
「……今手にしている花の色は青色で、小指の爪ほどの大きさだ」
 種類を言っても、それがお互い共通の認識にあるとは思えない。
 ルレイシアはオディオの言葉に手にした花よりもなお愛らしい笑顔で歓ぶ。
 次から次に聞いてくるかと思ったが、彼女なりにオディオの性格を把握しているらしく、必要以上の接触を持とうとはしなかった。心地いい距離感を保つルレイシアの態度には時折敬意を払いたくもなる。
 オディオの側でしばらく花を愛でていたが、彼が寝息を立てだしたのを感じ、邪魔にならないようにと少し離れる。
 あまり離れないようにと少しずつ距離を取りながら……これくらいなら大丈夫かしら、と彼女もまた小さく欠伸をして微睡みに身を委ねようとした。
 オディオはうっすらと目を開け……さほど離れていない場所で欠伸をしている姿を確認し、やれやれと小さくため息をつく。
(逃げ出す算段を練っているのかと思ったが……)
 彼の午睡を邪魔しないようにと、気遣っての行動だと読め、そこはかとなく安堵する。

 その姿を一瞬にして漆黒の闇が覆う!

「!」

 素早く立ち上がり、赤き翼を広げる。深紅の光が無数の刃を形作り、漆黒の闇に降り注ぐ。
 のっぺりとした闇色の塊は苦悶の声を上げながらルレイシアから剥がれ落ちた。倒れこむルレイシアを薙ぐように拾い上げ、横抱きに抱え上げる。
「おい!」
 強い呼びかけにも、ただガタガタと震えて応えられない。その腕からはとめどなく血が流れ出している。
 視界の端に蠢く闇色の塊はひくひくと今にも消滅しそうな動きを見せていたが、最後の力を振り絞ったかのように鋭く触手を伸ばし、ルレイシアの血を舐め取った。
 冷たく、ぬめりとした感触にルレイシアが声なき絶叫を上げる。
「ちっ」
 魔物が傷ついた身を癒すため人間の血肉を欲することはよくあることだ。
 回復されて二度手間を食うのかと思うと腕の中の荷物が忌々しいものに見える。
 それでもこれ以上の手間は取らせまいと、しっかり抱えなおす。両の手が使えずとも、翼の力だけで大抵の魔物は追い払える。
 魔物はひくひくと蠢動し、ぴたりと動きを止める。
 次の瞬間、爆発したように広がり、大音響を上げる。
「なっ……」
 さしものオディオも色を失う。明らかに元の魔物よりも強大でかつ凶悪なものへ変貌を遂げている。下手をすれば……自分の力に、《魔王》の力に匹敵する力を放っている。
 フシューと新たな力を得たことに満足したのか、巨大な狼のようなそれは、笑うように息を荒げている。醜く釣りあがった口からだらだらと涎を垂らしている。それが落ちたそばから、草花や土が腐食していく。ぎらりと光る牙は人間など一瞬で噛み砕くであろう。
 遠吠えとともに、その背中から蝙蝠に似た翼が生え、みしみしと肉を裂くような音とともに、足の爪が巨大化していく。
 人間の3倍ほどの体長にまで成長した魔狼は、再び地を揺るがすような遠吠えを上げる。
「オルステッド様……ダメです。逃げて……っ」
 朦朧としながら……見えないながら強大な何かが迫っていることに気づいたのか、ルレイシアが懇願する。
 古き名前を、玲瓏とした声で告げられ心臓を鷲掴みにされたような感覚に捕われる。
 苦しい。しかし、何か使命感のようなものが沸き立つ。
 何より、《魔王》たる男が、おめおめと犬一匹を前に逃げ去るわけには行かない……!
「黙れ。私に命令するな」
 ルレイシアを立たせると、ふわりと翼を広げ、体勢を整える。マントの端を翼の刃で切り落とすと、ルレイシアの腕に魔物の動きに警戒しつつ巻きつける。乱暴ではあるが、一応の止血にはなったようだ。
「どうやら奴はもっとエサが欲しいらしい。貪欲な奴だ」
 再びルレイシアを抱えあげる。
 魔物はオディオの動きもさることながら、じっとルレイシアの姿を捉えているようでもあった。滴り落ちていた血が見えなくなったことを不快に思うのか、グルルと低く唸り声を上げている。
 かぱっと口が開き、炎が噴出される。
 とんと軽く跳躍し、魔物の真上に向かう。フンと軽く鼻を鳴らし、軽く念じる。翼から炎が巻き起こり、猛々しい竜の姿を取る。竜は一直線に魔狼に向かい、その頭部を食らう。
 炎の中から魔狼の雄たけびが上がり、振り払うようにこちらへと飛び掛る。
「捕まれ」
 それだけ命じると、ルレイシアはぎゅっとオディオの首に腕を回す。オディオの鼻腔を錆びた鉄と微かに甘い香水の混ざった奇妙な匂いがくすぐっていく。
 虚空から現れた愛剣を握り締め、降下する。魔狼の一撃を直前で交わし、素早く首に一太刀入れる。薄皮を斬った程度にしかならないそれに、魔狼は愉悦に浸るかのように低く唸る。
 地上にて再び相対する。オディオの放った炎の竜の残滓があたりに熱風を振りまいている。
 ぽたぽたと滴り落ちる汗を首を振って乱暴に落とす。
 三度魔狼が大音響で彷徨する。その波動が無数の見えない槍となって振り注ぐ。オディオはしっかりとルレイシアを抱きかかえると大きく翼を広げ身を庇う。
 槍の嵐が過ぎ去り、オディオは忌々しげに舌打ちしながら翼を広げた。
 翼へのダメージは自身のダメージに繋がる。身体のあちこちが裂け、血が滴り落ちる。
 ルレイシアは自分のものでない血の感触に驚いたが、喚き散らしたくなるのを堪え、せめて彼の戦いの邪魔にならないように、できる限り彼の動きに合わせて力の加減を変える。
 その中でも手の触れるところだけはと、祈り、傷を癒していく。

 不思議と疲労は感じない。いくら軽いとはいえ女を一人抱えたままだというのに、さほどの負担とは思えない。血とともに流れるかと思った体力は失われることなく逆に次から次に沸き立つようだ。

『貴方のような強い方と一緒にいたような気がします』

 かつてそう言っていたことを思い出す。
 ただ連れて歩くだけのお飾りではなく、旅を続けられる価値が見た目以外にあるとすれば、その力。
 魔道士としてのサポート能力が群を抜いていると考えるのが適当だろう。
 封じられてなお、その力を祈るだけで発揮できるとはたいしたものだと舌を巻く。
 
 理屈だけならば通る。

 オディオはもう一度ルレイシアを抱え直す。たおやかな肢体は戦いの興奮で少し熱を帯びているのが伝わってくる。

 忘れていたもの。

「これは私のものだ。誰にも、渡さない」

 この手で死を与えるその日まで。

 オディオは剣を握り直し、地を揺るがすような怒号とともに天を切り裂く一撃を振り下ろす。
 その衝撃波を受けた魔狼は……見た目の派手さと技をかけた当人の気迫とは裏腹に威力のない一撃に、にたりと口を開く。
 そのまま一直線に二人に向かってきた。
 《魔王》とともに食らえば、今以上の力を手に入れられると確信して。
 醜く爛れた口蓋が目前に迫る。腐臭と獣独特の臭いが混ざり合う臭気にルレイシアはくぅっと小さく喉の奥を鳴らす。

(そうか……こんな他愛の無い音も聞こえるようになったのか)

 眼前に迫る魔狼などいないかのような、穏やかな気持ちでそっとルレイシアの頭を剣を終って空いた手で撫でる。

 戦いは既に終わっている。
 深紅に輝く瞳が、射抜くように魔狼を捕らえる。

「死ね」

 冷然と放たれた、静かな、重き神託。

 無数の刃が降り注ぎ、無慈悲に魔狼を大地に縫い付けていく。断末魔の声にびくりとルレイシアが震えた。
 大地が魔狼の血を吸い腐食していく。うんざりしながら軽く飛翔するとそのまま居城へと引き返した。

 草原はしばらく使い物にならない。
 時間を戻せばすぐに元通りになる。しかしそうまでして固執する理由は無い。
 居城に戻ったオディオはルレイシアの手当てをゴーストたちに命じると、自身は体中に染み付いた魔狼の臭気と血糊を落とすため湯浴みをしていた。
 傷は……どこにもなかった。あるのは乾ききった血だけだ。
 あれだけの攻撃を受けながら、戦いを終える頃には完全に治癒していた。

 彼自身の防御力、賦活能力を差し引いてもありえない。疲労感すらどこにもない。今すぐに人間どもを狩りに行ってもいいぐらいだ。
 ゴーストたちが新たに用意した服を身にまといながら、寝台に目を向ける。

 糸の切れた人形のように、ことんと眠りに落ちている。
 まるで初めて虚無の空間で出会ったときのような生気の無い表情に、オディオは訝しむように眉を顰めた。
(やはり自己防衛本能が足りていない……)
 呆れるように嘆息する。
 自分の傷と体力を癒すため、封じられている力を無理やり引き出した上、その加減も知らず、ただ使ったのだ。
 傍らに腰を下ろすと、ゴーストたちが丁寧に手当てを終えた腕を取る。
 血糊は、湯浴みするまでの間に合わせを兼ねて、軽く香水を含んだ水で綺麗にふき取られている。
 苦しそうな表情でぐったりと眠る女を、一瞬叩き起こしてでも叱り付けたくなったが、しかし。
(……逆に言えば自分で戦わない分、私を使ったというわけか……)
 今はまだ戦う力を取り戻していない。だが使役する力は思い出したようだと辟易する。
(都合のいい力だ)
 自分の傷を癒すことも忘れ、ただ……彼を守った。
 怯えてはいたが、完全に彼に依存していたようには思えなかった。
 共通の敵を見据え、ともに戦っていたような……懐かしい感覚。

 そっと腕を戻すと、テーブルに向かい、用意されたワインを口に含む。
 独特の渋みが喉を通り過ぎていく。

 突然、ばっとルレイシアは起き上がった。
「・・・・・」
 何事かと経過を見ていると……寝ぼけているのかオディオの気配を伺うことなく……ゆっくりと手探りで寝台の中の自分の位置を確認し、壁際へと移動すると、また仔猫のようにくるんと丸くなってしまった。
 約束を覚えていたらしい。
 笑いたくなるのを堪えながらワイングラスを置くとオディオは遠慮なく床に付いた。
 久々の柔らかな寝台の感触に、疲れていなかったはずの身体は睡魔を呼び寄せる。すぐ側で規則正しく上がる寝息が子守唄となってそのままオディオも深い眠りへと落ちていった。