2004年5月31日(月)
ピンクレディー
娘は、お友達と土曜日にピンクレディーのコンサートに行った。

私も含め、太鼓のメンバーからも何でピンクレディーか?と皆から言われた。
娘もそう言われると何だか力が出なくなったようだった。
が、頑張って出かけて行った。

案の定、来ている人々は40代・50代の人たちばっかりだったそうだ。

帰ってきた娘は、「良かったよ〜」と一言
「ミーちゃん綺麗かった」と続けた。
「30cm位近くで見たよ、顔ちっちゃいし、スタイルバッグンだし」

「渚のシンドバットの振り付け教えてくれるとさね、面白かった〜」
「UFOの時なんて足は凄く上げるし、ママ上がる?」
私が上がるはずがない。
ピンクレディーは、私と同じ歳だ。

「もう〜、DVDが振り付け付で出るとって、買おうかな?」
「ちゃんと踊り覚えたいし」

覚えてどうしようと言うのか?
わが娘は・・・
2004年5月30日(日)
DNA
小さな14型のテレビが壊れた。

2週間程前から真ん中の2cm位しか映らない時があった。
あ〜いよいよかなと思っていたら
突然、絵も声も出なくなった。

電気屋さんに行くと
ま〜安い事。
本当はもう少し大きいのが欲しいが、14型しか入らない棚なので仕方がない。
1万円チョットだ、多分修理より安い。
壊れたテレビを引き取ってもらうのにリサイクル料と言うものを取られる。
小さなテレビも大きなテレビも同じ金額だと言う。
チッョット納得がいかない。

母にテレビが壊れたから買ったと言った。
母「引き取ってもらうとにお金のかかるとやろう?」
私「そうよ〜高かとよ〜」
母「バラさんね」
私「・・・・・」

もう〜私の母は何と言うことを。
どんなやってバラセと言うのか?
母の真剣な言葉に返す言葉も無かった

母ならやりかねないかも・・・
恐ろしい〜

私には、あの母の血が半分は通っているのだ。
何だか怖くなってきた。
2004年5月29日(土)
気になる木
気になる木の写真を持って買った所に行った。

私「すみません、この木の名前が解らないんですが教えて下さい。」
店の人「あ〜これですね〜、何だったかな?」
暫く考えたが、出てこない。
店の人「解ったら電話しますから、番号教えて下さい」と言った。

何て可愛そうな木なんだろう?
私も買った時は、聞いたんだけど・・・

そんなに覚えてもらえないような名前なのか?
2004年5月28日(金)
復活
我が家にはPCが1台、店に3台ある。

家のPCと店のPC1台が同じメールを使用している。
お互いに見れるようにしている。

ある日突然、
店のPCの受信が出来なくなった。
送信は、出来る。
いろいろやってみたが無理。

家で見れるから【まあ〜良いや】と思いつつ月日は流れた。
今度は、家のPCの送信が出来なくなった。
店で遅れるから【まあ〜良いや】と気楽に考えていたが、面倒だ。
家で受信して店で送信、結構大変だ。

淋しい事に殆どが人間からではない。

時々、受信を試みてはみるが無理。

昨日、たまたま大将が送受信をクリックしてみた。
大将「来た、来た、来た〜」と大声で叫ぶ。
まるでパチンコで大当たりが出たかのように。
確かに大当たりかも。

私は何事かと思いきや。
446件の受信を始めだした。
ま〜気の遠〜くなるような受信の始まり。
それを削除するのがまたまた大変だった。

大将「おいがしたと、おいがしたと」とうるさい。
自分が治したと誇らしげに言う。
あれは、たまたまだ。
2004年5月27日(木)
♪この〜木何の木♪




店を改装した2年前に買った物だ。

大きくなって、立派に育った。
植木鉢を大きくしてあげたが、それでも小さくなった。

綺麗に一枚づつ葉っぱを水で洗ってあげている。
何だか小さな虫の卵が付いている時があるので
勿論、丁寧に取ってあげる。

今年も綺麗な花を咲かせてくれそうだ。

でも、困った事がある。
名前を忘れてしまったのだ。

私が水をあげていると、
「綺麗なクチナシですね〜」と皆さん言われる。
私「クチナシではないんですよ」と言うと
「何ですか?」と問われる。
「何か聞いたんですけどね、忘れたんですよ」と答える。

店の中に居ても「きれかクチナシね〜」と言って通って行く。
クチナシじゃないんだけどね〜と一人つぶやく。

買った所に聞きに行かなくてはと思っている。
もっと花が咲くと益々言われる。

この花もきっとつぶやいているだろう。
クチナシじゃないんだけど・・・
名前があるんだけど・・・
2004年5月26日(水)
訂正


カニ姫は、家のエレベーターの中に居たんだった。

そしてもう一匹のカニさんは、
店の階段の所に金魚鉢に入っていた姫に会いに来たので
一緒に飼う事にしたんだった。

人の記憶なんて本当に当てにならないと言う事だ。

よく記憶違いで夫婦喧嘩をする。

お互いに譲らない。
本人は、自分が正しいと思っているから
後に引けない。

記憶違いで喧嘩をしている時
時々、大将がいきなりニタ〜とする時がある。

そんな時は、自分の間違いに気付いてしまった時だ。
何とも言えない笑みを浮かべる。

しかし、絶対に誤らない。
あの人の辞書には、謝ると言う文字はない。

忘れていたが、新カニさんは、今年になって死んでしまった。
多分、今年だったと思う。
2004年5月25日(火)

      ↓

大将が←のカニを私に見せて。
「2,3日姫のおらんね〜って思うとったら、こんがんなった」と
悲しそうな声で言った。
私「え〜、可愛そうに。ご飯やらんやったと?」

このカニさんは、去年の今頃店のドアの所に居たカニさんで
これも何かの縁だと我が家で飼うことにした。
もっと詳しく知りたい人は、去年のひとりごとを読んで下さい。

店の外階段で飼っていたのだけど、冬は寒いだろうと
2階で飼っていた。
金魚鉢にアワビの殻を一枚入れてその中で飼っていた。
冬も無事越せたと喜んでいたのに・・・

やっぱり、カニを飼うことは出来なかったか。
大将は、カニの餌は何か?と随分悩んでいた。
カニには、ヤッパリおにぎりだろうとご飯をあげたり
ヒラメ、鯛、イカなど食べさせていた。
カニの餌が売ってあるが、食べなかった。

そんなに大切にしていた姫だったのに・・・
こんなに干からびて・・・
かわいそう〜

私が悲しみに耽っていたその時
大将が金魚鉢を持って来た。
今さらそんなの見たってと思っていたら。
その中に何と姫が居るではないですか。

まあ〜何と綺麗な姫が金魚鉢で遊んでるではないですか。
黒々と光り輝いて、正に一皮向けたってこの事かと。

そうなんです、あれは抜け殻だったんです。
どんなやって脱いだのだろう?

大将「アワビの殻の下にもぐっとったさね」
あの殻の中で一生懸命に2,3日かけて脱いだんだろう。
カニさんも恥ずかしかったんだ。

カニが脱皮するなんて?
それもこんなに見事に。

蛇の抜け殻を財布に入れとくとお金が入ってくると言うが。
カニの抜け殻は、何に利くのだろうか?
2004年5月24日(月)
今日のサラダ

味は、美味しい
今日もサラダを作った。

同じ物を作りたくないのでいろいろと考える。
そうだ、大根を入れよう!
私は、千切りのつもりで切ったのだが・・・
やはり、デカイ。

娘「こい、いじめ?」
私「イヤイヤ、千切りのつもりなんですけど」
娘「こいはひどかばい、食物科出とるとやろう?」
私「うん。」
娘「美味しかとけど・・・」

結局、何だかんだと言いながら全部食べた。

『さすが!』と言わせてみせようではないか 
2004年5月22日(土)
今時の・・・
昨日、福岡まで汽車で行った。

長崎では、路面電車があるのでチンチン電車のことを電車
JRのことをいまだに汽車と呼ぶ
これは、長崎人のこだわりだ。

私と知人の女性は自由席に座った。
私の斜め前の席に75歳は、過ぎているだろう老婆が紙袋を持って2人乗り込んで来た。
いきなり前の席の向きを変え、向かい合わせにした。
まあ〜その手際の良いこと。
その前の席の人がシートを倒していた為
そのお婆さんはチヨットチョットと文句を言いながらシートを回転させた。

私は、後で誰か来るんだな〜と思っていたら、諫早でも誰も乗って来なかった。
その向かい合わせにしたシートには、一個づつ紙袋が座っていた。

え?もしかして?紙袋の為に?
その予想は的中した。
次の駅で汽車は満席になった。
立っている人もいた。
その席の横を通るのだが誰一人「空いてますか?」と言う人もいない。

知らん振りして紙袋の中から大村寿司を出し食べ始めた。
車内販売が通るとコーヒーを買った。
優雅にコーヒーを飲み始める。
は〜と思っていると今度は、紙袋の中からタッパーに入った果物を食べた。

もう〜、こうなると私の胃は痛くたる。
言えない自分に腹が立つ。
私の知人もイライラしてきた。
邪魔なほど行ったり来たりする車掌さんがそんな時に限って来ない。

やっとのこと車内販売のお姉さんが通ったので
こっそり「車掌さんにあの席空け貰うように伝えて」と頼んだ。
お姉さんは、言えないだろうから。

車掌さんが来て、注意すると「あ、どうぞ」と言った。
それどころか、近くに居た人を呼んで「座らんね」と言う。

はあ〜
なに〜

益々胃が痛くなった。
2004年5月19日(水)
母のサラダ


このサラダの
作り方を伝授しましよう
ある日突然
娘は「無性にサラダが食べたい」と言い出した。
2週間夕食は、サラダになった。

私は、一生懸命にサラダを作り続けている。
エッヘン!
一日として同じ物を作った事がない。

残念な事に写真を撮っていなかった。
店で食べる事もあるが、今日は家で食べると持って帰った。

先程娘からメールが届いた。
 【サラダ旨い!うまい!上手い!】と短い文だった。

毎日【美味しい美味しい】と食べてくれるが
今日のは格別だったらしい。

【ありがとう(^-^)v嬉しい〜】と私は返信した。

朝から「今日もサラダ宜しく」と言って会社に出て行く。
愛娘からそう言われると断然張り切る単純な母だ。

毎日、新鮮な野菜を求め遠くの市場まで歩いていく。
これを電車に乗って行ったらダメなのです。
今日のサラダは何にしようか?
と考えながら歩くこれが母の喜びなのだ。
27kgも痩せると歩くのが楽しくなる。

世の家に帰ったら晩御飯が出来ている、なんな幸せな貴方へ

毎日、毎日お母さんは奥さんは大変なんですよ。
言葉で良いんです。
美味しい時は、
思いっきり【美味しい〜ありがとう、また宜しく】と言いましょう

そうでない時は、ん、ん〜
2004年5月16日(日)
胸が痛む
アーケードを娘と歩いていた。
娘は、いきなりジャンプした。
私は何が起こったのか解らなかった。

娘の横には、五歳位の男の子が居て
その手から風船がふわ〜と飛んでいってしまった。

娘は、ジャンプしたが届かなかった。
男の子は、大きな声でうわ〜んと泣き出してしまった。

私と娘は、あきらめて歩き出した。
本当は、その場から逃げ出したかったのだ。
その子から遠ざかっても泣き声だけは聞こえてきた。

娘は「あ〜、ごめん、ごめん届かんやったもんね、ごめんね」と
   その子に聞こえるようにではなかったが言いながら足早に歩いた。
   「胸の痛うなる」
   「あ〜、もう少し足の長かったらね〜」

子供にとって風船がどんなに大切なものか私達はよ〜く解っている。
かつて昔、娘も風船が割れて泣いて泣いて困らせた事があった。
昨日のように思い出せる。

あの泣いていた子が、知らない子の風船を捕まえようと一生懸命になった。
いつの間にこんなに大きくなってと
私は、胸がいっぱいになった。
2004年5月15日(土)
パンの耳
私達は、パンが大好きだ。
あそこが美味しいと聞くとどうしても食べたくなる。
只今、食パンに凝っている。
いろんなパン屋さんの良くパンを食べ比べている。

幼い頃、私はパンの耳が大嫌いだった。
耳は、残し柔らかい所だけ食べていた。

歳を重ねると共にパンの耳の美味しさが解ってきた様に思える。
パンの耳があんなに美味しとは知らなかった。

常連のお客様からあそこのパン屋さんは、耳をタダで貰えると教えてもらった。
またそこの食パンの耳が美味しい。
勿論、食パンも美味しいんだけど。

それ以来、何処のパン屋さんでも聞くようにしている。
「パンの耳ありますか?」と聞くようになった。

しかし、殆どの店では「ありません」と言う答えが返ってくる。
そうかと思うと朝から、ゴミ袋に入ったパンの耳が店頭に置かれている。
それなら、タダであげるか売ったら良いのに。
パンの耳もその方が喜ぶだろう。

同じ材料なのに焼かれる場所によってこんなにも人生いやパン生が違うなんて。
大げさかも知らないが、パンの耳をもっと大切にしようではないか。
2004年5月14日(金)
ん〜ん
俳優の榎本孝明さんが、デパートで個展の為来アされている。
今朝、長崎のTVに出演されていた。

買い物の途中で偶然に遭遇する事ができた。
彼が人を待っている時に私は前を通り過ぎてしまった。
通り過ぎて【あ】と思った。

隣に居た男性より頭ひとつ分位背が高かく足の長いこと。
只今、役作りの為ダイェツト中との事だったけど細かった。
やはり顔はきりっとした良か男でした。
違う、その辺の男とはち〜と違う。
素敵だった。
今日は、凄く得した気分で嬉しくなった。

しかし、玉に瑕を強いて言わせて頂くと
がに股だった。

でも、良か男やっけん彼の場合許せる。
2004年5月13日(木)
シャイ?
うちの大将は、かっこよく言うとシャイだ。

一見さんには、なかなか話をしない。
照れ屋なのだ。
まず、自分から話しかけはしない。
静かに食べたり、飲んだりしたい人も居るだろうと大将は言う。
お客様から話しかけられると話す。

特に(=^・^=)とハワイの話になると止まらない。
顔つきまで変わるので初めての方は驚く。

本当は、話し好きなんです。
2004年5月12日(水)
あはは・・・
いつものように今度は、何をお取り寄せしようかと検索していると
美味しそうなチーズケーキがあった。

これだと思って注文しようとしたら
直ぐそこだった。
いつもそこのケーキは、買っている。

娘にこの事を話したら
「配達してくれるかもよ」
「向こうもきっと驚くやろうね」と言った。

キーボードを叩くより歩いて行った方が絶対に早い。
早速、自分の足で買いに行く事にした。
2004年5月10日(月)
マイブーム
前から時々お菓子などをネットで注文していたが、暫く遠ざかっていた。
最近、またはまりだしてしまって。

何だか、来るのが待ち遠しい。
まるで恋人にでも会うかのように。

しかし、当たり外れがあるようだ。
外れの時は、え〜と思い。
自分の読みの甘さを反省する。
当たりの時は、やった〜と大喜びする。
自分の勘の良さをほめる。
何と私は、単純なのだろう。

注文する時は
いろいろ考えてあれもこれもと。
すると凄い金額なる。
これはいかんと今度は、削る。
また、この苦しみが楽しみなのだ。
何でこんな事でこんなにも私は悩むのだろうか?

宅急便屋さんが来ると必ず「待ってました」と私は言ってしまう。
昨日も大分から届いた。

娘が連休に、熊本、大分に旅行した時に食べて凄く美味しかったと言った。
私「何で買うてこんやったと?」
娘「生やっけん悪うなるもん」
娘は、目から鱗やっけんとまで言う。

店の名前も覚えていないと言うので、本当に困った。
名前も定かではなかった。
意地でも食べてやる。
それはそれは一生懸命にネットで探し、やっとのことでたどり着いた。
その執念は実り、見事私の口に入った。

何と衝撃的な味。
食べるとなるほど〜と思うが、これに気付くところが素晴らしい。

これからも頑張ってせっせと注文します。
2004年5月8日(土)
何で?
今、ブロッコリーが美味しいので娘はブロッコリーにはまっている。

昨日、大将がボイルした。
娘が一言
「パパが湯がいたろう?」

今日、私がボイルした。
娘が一言
「ママが湯がいたろ?」

私「何で解ると?」
娘「違うもん」
と一言で片付けられた。

娘「これはこれで美味しかけどね」
そう気を使って言ってくれた。

何だかショック!
簡単な料理ほど難しい〜。
2004年5月5日(水)
ハンカチ
最近の若い男性は、ハンカチを持たない。
と言う事を耳にした。

若い女性は、
ハンカチを持っている男性は、気持ち悪いと言う。

何故か?と言う問いに
男らしくないと答える。
じゃあ汗は、何で拭くのか?の問いに
シャツで拭くのが男らしいと言う。
トイレで手を洗った後は?の問いに
ハンカチで手を拭くのは、女らしいからイヤだと言う。

男らしさをそんなところでしか見出せないのか?
私は、そっちの方が情けない気がする。

先日、若い男性が40代後半の男性といらした。
40代の方は、常連さん。
若い男性は、初めての方です。
それも東京の人で、今時のカッコイイ男性。
その今時の若者に私は聞いてみた。

「ハンカチ持ってます?」
彼「持ってません」
私「ヤッパリ」
すると常連さんが「僕は持ってるよ」
私「今、若者はハンカチ持たないんですよ」と教えてあげると
「え、え〜」と言われた。

その若者に「何で持たないんですか?」と聞くと
「トイレに行っても拭くものがあるじゃないですか、
ハンカチ必要じゃないんですよ」と答えた。

ち〜と違うような気がするんだけど。
2004年5月3日(月)
はあ〜
あの花屋さんがやって来た。
「この前のは間違いでした」と
ちょうど忙しかったのでさっさと彼に渡した。

が、よ〜く考えたら
あの花屋さん(彼)から誤ってもらっていない。
スミマセンの一言も無かった。

よ〜く考えたら
段々腹が立ってきた。
勝手に間違えといて・・・

バラの花1本くらい持って来い!
2004年5月1日(土)
え?
昨日
近所の花屋さんが「お届け物です」とやって来た。
「誰からですか?」と聞くと
「外人の女性からです」と答えた。
「名前は?」の問いに
「言いませんでした、解るからと」言われて。
「直ぐそこのわさびに届けて下さい」と言われたので。

でも、何で?と思い
「本当にうちですか?」と聞くと
「もう一度、確認して来ます」と持って帰った。

花屋さんは、暫くしてまたやって来た。

一昨日、良く知った方が女性を連れていらした。
花屋さんに依頼した女性が良く似ている。

でも、私達は何もしていない。
お御馳走したのは、連れていらした男性だし、

焼き魚をと言われたのだが、あいにく焼く物が無く
大将が魚をソテーして出した。
しかし
その彼女は、【えっへん!】私が作った味噌汁を一番気に入ってくれた。
「美味しい〜」と言ってくれた。
亡くなったお母さんが私と同じ歳で7月生まれも同じだった。

それだけで?
これって一期一会?

お礼も言えず
名無しのゴンベイさいやゴンコさんありがとう!
Спасибо  (スパシーバ)
2004年4月28日(水)
災難
今日、朝からバイクで大将と買い物に出かけた。
用事が済み、帰り道のこと。
前のバイクの人のヘルメットが飛んで来るのが見えた。
あ、あ〜と思っていると避ける間もなく、タイヤの下にヘルメットは入り込んできた。
そしてバイクは、横転してしまった。
勿論、大将も私も転んだ。

横を走っていたワゴン車の運転手さんが車を止め飛んで来てくれた。
「大丈夫ですか?ケガはありませんか?」と優しい声をかけてくれた。
大将は「大丈夫です、ありがとうございます」と答えた。

その後でバイクのおっさんがのたのたとやって来た。
へらへらと笑いながら。
大将「ひもはしっかり結んどかんば」と言った。
私が、そのヘルメットを見たらひもなど付いてなかった。
バイクに初めて傷が付いてしまった。
私は、弁償させるのかと思っていたのだけど・・・

私「名前とか聞かんで良かと?」と小さな声で大将に聞いた。
大将「良か」と答えた。
大将が良いと言うのだからそれ以上私が言うことではない。
しかし、私の体は打撲してしまった。
勿論、痛い。

私がそれ以上言えなかったのは
多分、大将は落ち込んでいるのが解ったから。
何であのヘルメットを避け切れなかったか?
自分の不甲斐無さに・・・
しかし、あれは避けれる状態で無かったと私は思う。
決して大将の運転を下手だと思わない。
でも、大将は凹んでしまった。
だからあのおっさんに弁償しろと言えなかったのだ。

まあ、それは良いとして
大将も転んだので痛い、それは、当たり前だ。
走り出した大将は私に「お前も気をつけろよ、物ば飛ばさんごと」と私に注意をした。

その前に言う事があるだろう?
後ろに乗っていた私はまき沿いだ。
せめて一言「大丈夫か?」と優しい言葉をかけて欲しいものだ。
未だに言ってもらっていない。
2004年4月27日(火)
昨日は・・・

昨日は、ひとりごとを書いていなかったんだ。
しっかり忘れていた。

昨夜は、雨が酷くて
風邪も酷くて
台風かな?と思うほどだった。
だから早仕舞いしたんだった。

最近、物忘れが激しくなった。
大将のことを攻められなくなってしまって。
2階に物を取りに行くと何を取りに来たのかもう忘れている。
1分も経っていないのに。
そんな時は、先輩の大将が言う。
「もう一回戻って来い」
戻ってみると確かに何を取りに行ったか解る。
さすが、大将だ!
経験者は語る。

しかし、
若い時の2倍はかかる事になる。
歳を取ると貴重な時間なのに・・・

2004年4月25日(日)
東京
1年ぶりの東京は何が変わっていたかと言うと
まあ、何と電車の中で化粧をする女が多いこと!
二十歳そこそこの女の子ならともかく
私と変わらない様な女の人まで
もう、私は情けなくなった。
だから
じーと見てやった。
どんな顔して人前で化粧をするのか。
まあ〜そのとても人前で見せる顔ではない。
口をお〜きく明け、目を丸々して
はっきり言ってアホみたいだ。
100年の恋もきっと覚めてしまうであろう顔になった。

私は、言いたい。
貴方は、人前で平気で着替えますか?
綺麗になりたいから化粧をするんだと私思う。
現に私も化粧をする。
私は、人前で変身の途中は見せない。
電車の中では、着替えません。
変身の途中を見せたらダメです。

世の女性軍へ
電車の中で化粧するのは止めましょう。
2004年4月24日(土)
帆船祭り
昨日から長崎帆船祭りが開催された。

大将と見に行った。
これは、日本丸です。
快晴に恵まれ素敵な各国の帆船がやって来た。

夜は、またライトアップされ素敵な長崎港になる。

ようこそ長崎へ。
2004年4月23日(金)
お誕生日
無事旅から帰って来ました。
いろいろありましたが、その話は後程。

今日は、すし 山葵の誕生日だったんです。
23歳。
はっきり言って忘れていました。
4月23日が誕生日だという事は、覚えていたんですが
それが今日だとは、気付きませんでした。

私達が仲人したカップルがいるんですけど
その子が必ずプレゼントしてくれるんです。
それで思い出した訳です。

私「今日何の日か知っとる?」
大将「開店記念日やろう」
何だ〜知ってたんだ。
くやし〜い

何はともあれ
22歳おめでとう!
これも皆様のおかげです。

本当にありがとうございます。
これからも宜しくお願いします。
2004年4月17日(土)
お知らせ

明日から2泊3日で東京、小田原に行ってきます。
母のお供です。
大将は、留守番ですので勿論山葵は、営業しますのでご心配なく。
大将の相手をしにいらして下さい。
そして、よ〜く見張っていて下さいな。
どうせあの母との旅ですので珍道中間違いなしです。
ご報告します。

2004年4月14日(水)
ちゃんぽん
ヤッパリ、PCのご機嫌が良くない。
書ける時に書いとかないと。

昨日の昼は、大将がちゃんぽんを作ってくれた。
大将は材料を買いに行く途中で、幼稚園位の子供と母親に会った。

母親「お昼何にする?」
子供「ちゃんぽん」と大きな声で即答したそうだ。
母親「・・・・」
子供「ダメと?」
母親「・・・・」
大将は、何とか言ってやれと心の中で叫ぶ。

帰って来てその話を私にするので
私「おじちゃんが作ってやっけんって言えば良かったとに」
大将「うん、おいもそんがん思うたとさ」
   「頼もしか〜、嬉かね〜、あんがん小さか子がちゃんぽん食べたかって」
   「長崎の子やったら、ちゃんぽん食べんば」
   「ほんとに食べさせたかった」

大将のちゃんぽんは、最高です!
2004年4月8日(木)
アメリカからの便り


アメリカからメールが届いた。
そのメールには、写真が添付されていた。
御主人の転勤の為、アメリカに居るお友達からだ。
にプリンセスダイアモンドに会いにロングビーチに行ったそうです。

アメリカの景色にまあ〜良く馴染んでいるではないですか。
何と堂々たるもんだ。

彼女のメールには、
『話によると内装工事が終わらなくって
長崎を出航した後のロサンゼルスまでの航海中も
作業員が乗り込んでずーっと作業が続けられていたとの事。
本当に大変な大仕事ですよね。』
と書いてあった。

へ〜そうだったんだ。
本当にお疲れ様でした。

ヤッパリ、大きかったって。
2004年4月4日(日)
長崎弁
何かの話から【ばさらっか】と言う言葉が出た。
娘「そい何?」
私「ばさらっかって知らんと?」
娘「うん」
私「そいはいかん、長崎もんが長崎弁ば知らんとはようなか」
  「ばさらっかとは、ざーとしとっことさ。おおざっぱさ。」
  「ちーと【ずんだれ】とは違うとさ」
娘「【ずんだれ】って何?」
私「そいも知らんと?いかん、いかん」
  「【ずんだれ】とは、だらしないってことさ」

娘は、今の若者の中では長崎弁を知っている方だ。
しかし、まだまだ知らない言葉がある。
それでは、長崎に生まれ育った意味が無い。
もったいない。
もっと長崎弁を教えとかないと。
2004年4月3日(土)
続き
昨日、ひとりごとを書いている途中でPCの調子が悪くなりました。

では、続きを
晩御飯を食べた時ある日「このおかず明日持って行く」と娘が言い出した。
仕方ないのでそれ以来大将は、またお弁当を作る事になった。
今度は、卒業が無いので多分結婚するまで続く事になると思う。
大将「こいから弁当作らんばとか」と言いながら顔は、ニッコリしていた。

4月1日は、私がお赤飯、お煮しめを作った。
後は、大将に任せた。
大切な節目だからと二人で作ったのに何と娘はそのお弁当を忘れて会社に行ってしまった。
このお弁当だけは絶対に食べてもらわないと。
勿論大将にバイクで私も後ろに乗って届けた。
前に日に二人で書いたメッセージも添えて。
昼過ぎ、娘からメールが入った。
ありがとう、本当においしかったよと。
職場に人達にお赤飯の入ったお弁当とメッセージまで自慢したそうだ。
2004年4月2日(金)
お弁当
愛娘のお弁当は、ず〜と大将の担当だった。
幼稚園、小学校、高校と。
中学校と短大は、作らなくて良かった。
卒業したのでもうお弁当は作らなくて良いと思っていたのだが・・・
2004年4月1日(木)
何とか・・・
私のケガは、まだまだ完治していないけど何とか見える様になりました。

今日から娘は、今まではアルバイトだったのが正式に嘱託社員となった。
私の希望は、入社式のある会社に入れたかったのですが・・・
社長の訓示なんかあって・・・
セクハラおやじが居て、意地の悪いお局様が居て、理解出来ない今時のギャルが居て  
と思っていたが、娘の通う職場は素敵なおじ様が居て、優しいお姉様が居て、
娘より若い子が居なくて何とも最高の職場なのだ。
みんな良い人ばっかりなのだ。
仕事は、結構大変みたいだが暇より良いと娘は言う。
それに残業手当もちゃんと付く。
本当にありがたい事だ。

私の希望とは違ったが良い方に外れたので良かった良かった。

せめて今日は、リクルートスーツを着て行って欲しかったのだが
今、思うともったいない買い物をしたものだ。
しかし、娘には、クルートスーツは似合わないのでまあ良いかと思う。
2004年3月28日(日)
お詫び
私、不覚にも目の辺りを怪我しましたので
暫くひとりごとをお休みましたし、休みます。

尚、お見舞いは、お任せ致します。
2004年3月21日(日)
老耳
前にも書いたように大将は、老耳になった。
そう歳をとって見えなくなるのが老眼で聞こえなくなるのを老耳と私は言っている。

最近は特に酷くなった。
お客様に「最近僕は、老耳になってですね」と大将が言うと
お客様「そいは、職業病さ」
私「え?」
お客様「お客さんの話しば聞いたらいかんって思うとるやろう?」
     「お客さん同士の話しば聞いたらいかんけんと思って耳に蓋ばするとさ」
     「そいけん、だんだん聞こえんごとなるとさ」
     「こいからは、お客さん同士の話も聞いてやろうと思ってごらん」
大将と私「なるほど〜」
お客様同士の会話は、聞いたらいけない事も話される事がある。
カウンターに座られたら聞きたくなくても聞こえてしまう。

だから、耳をふさぐ様になったのかもしれない。
2004年3月20日(土)
カメラ付き携帯
中年の女性のお客様2人がいらした。
時々いらっしゃるお客様です。
帰りがけ私に「大将ば撮って良か?」と言われたので
私「どうぞ、どうぞ御自由に」と言った。
お客様は、携帯のカメラでパシャと
「久々良か男ば見た、撮っとかんばね」と嬉しそうだった。
まだまだ】年配にはもてるみたいだ。

大将は、自分の顔が歳とったと嘆いていたのに
証明写真を写真屋さんに撮りに行って出来上がりを見たらあまりの歳よりに
知り合いの店と言うのもあったが「撮り直して、こいひどかばい」と言った。
しかし、撮り直したのも同じでショックを受けていた。
大将「あ〜あ、おいも歳ばい」
当たり前だ、もうすぐ51歳の誕生日を迎える。
今年は、あと半分何て言わないだろう。
誕生日の一言がまた楽しみだ。
2004年3月19日(金)
え?
大将「明日世の中休みって知らんやった」
私「え?何で?」
本当に明日が休みだなんて知らなかった。
普通の土曜日だとばっかり思っていたら。
と言っても何の変わったことも無いが。
何だか気分的には、ゆったりなるかな。
明日は、世の中休みだ〜。
2004年3月18日(木)
ご機嫌斜め
3日間PCのご機嫌が斜めだったのでひとりごとを書けなかった。
マウスが動かなかった。
線を繋ぎなおしたり、出来る事はしたがダメだったので
丸一日PCを寝せてあげることにしたら
今日は、何とか動いてくれている。
しかし、また機嫌が悪くなるやら・・・
心配だ。
さあ〜今のうちに急いで書かないと。

騙しだましと言う言葉があるが、私の場合もう褒めてほめて
何とか動いてもらっている。

PCさんに感謝が足りないのだろうか?
ひとりごとが更新していなかったら、PCが機嫌が悪いと思って下さい。
2004年3月15日(月)
シロップ
大将は、お酒を止めてコーヒーが飲めるようになった。
前に書いたように私が入れるコーヒーが一番好きです。
コーヒーだけは、ほめてくれる。

大将は、コーヒーにフレッシュだけ入れる。
カップにフレッシュを入れコーヒーを入れて大将に渡す。
目の前にコーヒーがあっても
飲みたくても自分でフレッシュを入れ、コーヒーを注がない。
大将は、「何もせんとやっけんそのくらいはせろ」と言う。
確かにおっしゃる通りなので素直に従う。

私が打ち合わせで留守をしている時(忙しいのは、知っているのに)
わざわざかけてくるのだから・・・
大将からの電話
大将「コーヒーに何か入れた?変ぞ、甘かぞ」
コーヒーを飲もうとしてフレッシュをカップに入れ、コーヒーを飲んだら
変な味がしたと言うのだ。

大将は、フレッシュとシロップを間違えたらしい。
見たら解るだろうに。
色も違うのに。
2004年3月14日(日)
いつになるやら・・・
今日は、結婚披露宴に出席した。
昔は、自分の結婚披露宴の事を思い出していた。

でも、最近は花嫁の母の気持ちが良く解るようになった。
昨夜は、娘にも結婚式の前の晩が来るんだろうか?と思ってしまった。
どんなふうに過ごすんだろうか?と考えてしまった。

今日も
娘が嫁ぐ日はこうしてあげたい、あ〜してあげたいと思って
今までと違う目で見ていた。
今日の花嫁さんにも強く勧めて家から出てもらった。

娘の時は
勿論、家から出てもらう。
朝からお風呂を沸かして、お赤飯を炊いて竹輪に紅白のかんぼこと・・・・
そんな日が来るんだろうか?
来てくれることを願う私です。
2004年3月13日(土)
え?
中年の男性がいらした。
インターネットの話を連れの方と話されていた。

男性「そいって使いたい放題?」
連れの方「そうそう」と言ってらした。

もしかして、【使い放題?】
でも、【使いたい放題】の方が気持ちは解る。
2004年3月12日(金)
貴方ならU?
40代の男性二人と30近くの独身の男性3人がいらした。

40代の男性が
「大将本当の事を言って下さいよ」と言った。
その後に「もし、生まれ変わったらまたおかみさんと結婚しますか?」と質問された。
大将即答した。
「いいや、せんですね」
男性「おかみさんは?」
私「私もせんです」
私も大将の答えが予測できた。
私も今度生まれ変わったら、絶対に違う人が良い。
同じじゃ面白くない。

その男性「どうしてこの質問をしたかというと、実は家内から質問されたんですよ」
      「もし、生まれ変わったら私と結婚する?って」
私「で、何て答えたんです?」
男性「答えきれんやったんですよ」
   「よ〜く考えた末に多分せんやろうって言ったんですよ」
   「そしてら、家内は私は生まれ変わっても貴方と結婚すると言ったんですよ」
   「あいた〜と思ったんですよ」
   「一番いかんやったとは小学生の子供の前で言ってしもうたとですよ」
その男性は、深く反省をされていました。

うちの場合
娘に言ったら、ヤッパリね〜と言う答えが返ってくるだろ。
2004年3月11日(木)
貴方なら?
【解夏】と言う映画がある。
TV化もされる。
原作は、あのさだまさしさんだ。

目が見えなくなるそう考えただけで、胸がいっぱいになる。
私達は、見えることが当たり前だと思っている。

私「もし、目の見えんごとなったら最後に何ば見たか?」と娘に聞いた。
私の心は、決まっていた。
最後に目に焼き付けたいものは、決まっていた。
娘「せ−ので言おう」
私「良かよ、せ〜の」
「kiki」と大声で言った。
娘と私の答えは同じだった。
kikiは、我が家の猫です。

同じ質問を大将にした。
大将「そいは、家族やろう〜」
うん、うんそうだと私は思った。
私「一人だけって言ったら?」
大将「そいは、妻やろう」
私「そいって私?」
大将「まあね」
私「私とちっちは、kikiやったよ」と言うと
大将「・・・・・」

はっきり言って想像しなかった答えだった。
私は、満足だ。
2004年3月10日(水)
ぜ〜たい
大将は、前も書いたように老眼になった。
今朝、歯を磨こうとして陶器のコップを使っているんだけど
そのコップにゴミが付いてると思い指で掃おうとしたら
チカッとしたらしい。
指を見てみると、血が出ていたらしい。
眼鏡をかけてよ〜くみて見ると、ゴミではなくコップが欠けていたらしい。
ついでに近くにあった人形を見てみると
【この人形こんがん顔しとったとばいね】と思ったそうだ。

大将「今まで見てきた顔と違うさ」
私「今度眼鏡かけて私の顔ば見てみてよ」
 「こんがん、うちんとは綺麗かったとか〜って思うけん」
大将「ぜ〜〜ったいなか」
2004年3月9日(火)
かわいそう(=^・^=)
最近、長崎で放火の犯人が捕まった。
しかし、また新たな放火があった。

先日の未明、中通り商店街2件や八幡町付近と
中通り商店街の民家の前に私は犬小屋だと思っていたら
それは、猫小屋だった。
何とその猫小屋の中に居た猫の髭が燃えていたと
大将から聞いたので早速見に行った。

オリが燃えたので寒いのに箱の上に載ってこっちを見ていた。
チャトラの綺麗な子だった。
その髭は、片方がちゅるちゅるでもう片方は短かった。

私は思わず声を掛けていた。
「かわいそうに〜、熱かったろう〜怖かったろう〜」

私が、その猫を見ているとおじさんが寄って来て
「こん猫は、かわいそかとよ」
私「はい、髭ば燃やされたとでしょう?」
おじさん「そうたい、そん前は酔っ払いに髭ばハサミで切られとっと」
「こん猫は、良か猫で他所の店の中には入らんしおとなしか猫たい」
私「野良ですか?」
おじさん「いいや、一応そこの飼い猫たい」
小屋を作ってもらって外で飼っているらしい。

何と酷い事をする人がいるもんだ。
少なくとも、猫を愛する人ではないことは確かだと思う。
あの猫は、犯人を見てるんだ。
何で?酔っ払いはハサミを持っていたのか?

サスペンス大好きな私の推理は続く。

私は、いつも思う。
なんなことした人には、同じ事をしてやりたいと。
2004年3月8日(月)
割り勘
最近、若い女性達が話題にする話がある。
25歳位の3人の女性がいらした。

 「この前、ファミレスに彼と行ったっさね。私は、グラタンだけやったとけどさ」
「彼は、ハンバーグセットにスパゲッティにおまけにデザートにコーヒーよ」
「お勘定の時に彼が出したけん、やった〜おごりかなと思いよったとさ」
「そしたら、店出たとたんにきっちり半分請求されたけんね。10円までよ。も〜ショック」
「当たり前のように言うとさ、そいが頭にきた」
お友達「で、払うたと?」
「うん」
お友達「おるおる、最近そんがん人」
「多かとよ。○○ちゃんの彼もそんがん言いよった。そんがん男別れんね」

必ずしも男性がおごるものとは、思わないが。
この場合、ちっと違うような気がする。

昔は、男に良い意味での見栄と言うものがあったと思う。
独身時代、大将が全ておご馳走してくれていた。
でも、給料日前はお金を持っていないのが解っていたので
大将「何ば、食べたか?」と聞かれたら
私「ラーメン」と答えていた。
大将「お前は、ラーメン好いとっね〜」
確かにラーメンは大好きだが、まずは大将の財布の中を心配しての事だった。
2004年3月7日(日)
昔は・・・
中年の女性のお客様に道でばったり会った。
「まあ〜、痩せて〜」とびっくりされていた。
私「はい」
女性「昔は、ひどかったもんね〜。丸々しとったもんね」
その後にもまだ続く
「何であんがんデブになったとやろうって評判やったとよ」と
ガ、ガ〜ン
どういう事だ。
確かにひどかったかもしれない。
評判にしたのは、貴方でしょう?と思った。

しかし、この女性はかつて
「段々、おかみさんらしくなって。恰幅(かっぷく)のようなって」と言っていたのに。
私は、その言葉を何の疑いも無く素直に受け止めていた。
なのに・・・
皆は、そんなに思っていたのか。
いや、少なくともあの女性だけはそう思っていたんだ。
ショック
2004年3月6日(土)
結婚指輪
私の結婚指輪のサイズは、7号だった。
24年前のことだ。
いくら25kg痩せてもあの当時の38kgには戻らない。
だから、絶対に7号の指輪は入らない。

婚約指輪は、ダイヤを貰った。
大将が免許取り消しになったので、もう二度と車には乗らないと
車を手放し、そのお金で(給料3か月分以上の)大きなのを買って貰った。
私の指には、車が乗っかっていた。
このダイヤの指輪は、体重が増すに連れサイズも大きくしてもらった。
しかし、結婚指輪だけは結婚式の時のままのサイズにしておきたかった。
これがささやかな女心なのかもしれない。
娘を産んだ頃から入らなくなったので
それ以来、私の指から結婚指輪は消えてしまった。

私「指輪の欲しかとけど」
大将「もっとるやっか」
私「違う、ダイヤとかルビーとかじゃなくて結婚指輪の欲しか」
大将「もっとるやっか」
私「入らんもん」
大将「大きゅうせろ」
私「いやぁ〜、あれはあのまんまにしとくと」
  「やす〜かとで良かけん、こうて。1,000円で良かけんこうて」
大将「ダメ」

私は、大将に物をねだったりした事はないのに。
娘にこの話をすると
娘「自分でこうたら良かたい」
私「いいや、結婚指輪はパパに買ってもらいたかもん」

買い物に行ったついでに指輪を見てみた。
娘「これ、いいたい」
私「良かね〜、これにしようかな」
大将が買ってくれないので、もう自分で買うことにした。

代金を出そうとすると、何と娘が「私が買ってあげる」と言い出した。
私「え〜、良かと?」
娘「うん、そのつもりやったけん」
もう、私はその場で涙が出てきそうになったが
そこはグッと堪えた。
もう、思ってもいなかった事で・・・・
嬉しくて、嬉しくて。
今、私の左手の薬指には二個目の結婚指輪がピカピカと輝いています。

生んでて良かった。
2004年3月5日(金)
ん?
年中無休で思い出した事がある。

ランタンの頃に一人の男性がいらした。
お客様がいきなり「年中無休は、大変ですね〜」
大将「年中無休と言っても冠婚葬祭、風邪ひいたり完璧な年中無休じゃないですね」
私達は、何でこのお客様は年中無休だと知っているんだろう?と思っていた。

大将「どちらからですか?」
長崎の人ではないと思っていた。
お客様「福岡からです。」
     「テレビで見て来たんです。」
大将「何処の局ですか?」
ローカルのテレビの取材は受けた事はあるが福岡までは流れていないはず。
大体大将は、取材が嫌いで雑誌もテレビも随分断ってきた。
私が、電話に出たり初めに私に話が来ると「はいどうぞ」と答えてしまう。
だって私がテレビに出る訳じゃないし、大将の困った顔も見れるし・・・

だから、福岡で放送されることはないはずなのだ。
それもこの前、取材された局とは系列が違う局の名前を言われた。
そのお客様は、はっきりと覚えていて
メモを見て「浜町11-2ですよね?電話は821・・・」と言われた。
「禁煙で、年中無休ですよね」とメモを見せて下さった。
大将「はい」
大将と私は顔を見合わせて【ん?】と思った。

何とも不思議な話だ。
2004年3月4日(木)
年中無休
わさびは、年中無休です。
とは、言っても冠婚葬祭では休まないといけないし
大将も人間なので年に1か2日風邪で休む時があります。
なかなか年中無休は、難しいものです。

昔は、元旦から大晦日まで年中無休でした。
ここ2,3年は、大晦日と正月の三日間は休んでいましたが
昨年の暮れは、良い鯖が入ったので大晦日も営業することになりました。
元旦は、予約があった為営業しました。

大将は、今年2ケ月無事休まずこれたので今年こそ年中無休で頑張るぞと
言っています。
とにかく、健康で毎日店が開けれることは幸せなことです。

お客様から「休みなくてきつくない?」と聞かれますが
大将も私も、休み明けの仕事が嫌いなんです。
だからいつも休みがない方が良いんです。
2004年3月2日(火)
もう〜
2日は、毎月墓参りの日だ。
今朝は忙しいので、いつもより早めにお参りに行く事にした。
いつもの花屋さんは、多分開いてないと思ったので
私「あそこの花屋さんやったら開いとるかもよ」
大将「あ、そうね」
何十年も前から見ていた花屋さんがあった。
古い古い木造の家でお墓用の花屋さん。
私「これとこれと・・・下さい。」
お婆さん「少し切りますか?」
私「はい、お願いします。」と言ったのが間違いだった。

大体の花屋さんは、下を少し切るだけにしてくれるんだけど。
お婆さんは、丁寧に花を三つに分けだした。
私「良いですよ、私がしますから」
お婆さん「私は、花ば教えよったけん任せんね」
大将がバイクのエンジンをかけたままイライラしながら待っているのを私は感じていた。

私「ほんと、良いですよ」
お婆さん「私はちゃんとせんばすかんとさ」と言いながら時間は過ぎていく。
私「幾らですか?」
お婆さん「1,520円ね」
お金をお釣りがないように出す。
お婆さん「あんたは、捌(さば)けとっけん良かね〜」
いやいや時間がないのだ、と言いたかった。

お婆さん「お花の先生から後ば継がんねって言われたばってん、お花の先生は儲からんけん止めた」「洋裁ば、50年しよるとよ」「朝は、7時から開いとるよ、夏は、6時からね」「元旦だけ休むけどね」「この指はどうして怪我したと思う?」「この花のアクさ」と話しが止まらなくなった。何とか手は動かしている様だった。

それから「あんたは、幾つね?」
私「45です」
お婆さん「へ〜30代と思うとった。」
     「私の半分たい」と言いつつ
やっと終わった。

バイクに戻った私に大将は、「遅かったね〜」と一言
私は、説明をした。
大将は、もう〜あそこでは買われんね」
私「うん」
2004年3月1日(月)
ものは・・・
1日と15日は、諏訪神社にお参りに行く。
今朝も大将と出かける事にした。

私「2階からジャンバー持って来て」
大将「自分で取って来い」と言っていたのに、大将が持って来てくれた。
見ると階段に水がこぼれていた。
メダカ用の水を貯めていたのをジャンバーの裾で引っ掛けたのだ。

私「どうしたと?」
大将「片手にジャンバー、片手にヘルメットば持って降りよったら水ばこぼしてしもうた。」
   「あ〜も、おまえんと持って来んなら良かった」
私「何ば言いよっとね、お陰で階段の綺麗になったやかね。良かった、良かった」
  「ありがとうって言わんば」
大将「ありがとう」

ものは考え様だ
2004年2月29日(日)
通行禁止
ある日、大将と私と二人でグランドん坂を下ってアーケードを抜けて帰ろうとしていた。
大将が何を考えたのか真っ直ぐアーケドの方へ進まず、右に曲がった。

私「何処行くと?」
大将「家に帰りよっとたい」
私「何で右に曲がると?」
大将「・・・・・」
   「そうか、バイクじゃなかったね」
   「そんままアーケードに入れるとたいね」

これは、どういう事かと言うと
大将はバイクに乗っているのと勘違いしていたのだ。
私もこれには、呆れて何も言えなかった。
2004年2月28日(土)
煽る(あおる)
今日は、土曜日だったので大将と娘は仲良くバイクの再訓教室に出かけて行った。
雨が降りそうだったが、雨の日もバイクに乗る事もあるだろうと
二人は喜んで行ってしまった。

帰ってきた娘は、私に
 「もう〜、誰かさんは私ば煽るとよ〜」と言った。

煽ると言う漢字が解らなかったので 大辞林で引くと
あお・る あふる 2煽る】(動ラ五[四])
(1)風が物を動かす。また、風に吹かれて物が動く。
「カーテンが風に―・られる」
(2)風が吹いて、または風を起こして火の勢いを強める。
「強風に―・られて燃え広がる」
(3)他人を刺激して、ある行動に駆り立てたりする。たきつける。扇動する。
「憎しみを―・る」「群集を―・ってデモに駆り立てる」
(4)風を起こすような動作をする。
「―・りながら(=体重ヲ利用シ反動ヲツケテ)寄り倒す」
(5)写真で、煽り(4)の操作をする。
(6)(取引で)相場をあげるために、大量の買い付けをする。
(7)(あぶみ)を蹴(け)って馬を進める。
「(馬ノ)尻を迎て―・るにいよいよ渡らず/沙石 8」
SPACE

誰かさんとは、勿論大将の事だ。
娘が八の字をノロノロと走っていると、
大将がクラクションを鳴らして早く行けと言わんばかりに追いかけて来るそうだ。
娘は「もう〜」と私に言いながら結構喜んでいるようにみえる。
勿論、大将もそれを聞きながらニヤニヤしている。
大将は、煽って遊んでいるんだ。
私「今度、パパば煽ってやらんね」(勿論、再訓教室で)
娘「いつになるやら」

結局娘は、「煽られるのも勉強やっけんね〜」と言う。

↑の大辞林の解釈で言うと(3)か(7)だろうが、他人ではないし馬でもない。
2004年2月27日(金)
グランドん坂
私の嫌いな言葉に【忍耐】【努力】【根性】がある。
運動が、大嫌いでましてマラソンなんてとんでもない。

長崎の市内にグランドん坂(グランドの坂)がある。
注:長崎弁では、【の】を【ん】と言う
例:うちんがた(私の家)

築町から長崎グランドホテルに登る坂をグランドん坂と呼んでいる。
私は、デブの頃あの坂が登れなかった。
距離は、そんなにないが、やや急だ。
普通の人にとっては、何てない坂だ。
元船の方に買い物に行くにも遠う回りをして平道を好んで歩いて行っていた。

10kg程痩せたある日、
どういう心境の変化かあの坂を登ってみたいという衝動に駆られた。
登ってみるとなんなく軽く登れた。
これは、私にとって凄い事なのだ。
25kg痩せた今では、スキップも出来る程になった。

この話をお客様に話すとたいていの人は、あの坂を?と言うが
私の友人1人は、「解る解る私もあの坂避けるもん」と言った。
坂を登れた喜びを解ってくれたのは、彼女だけだった。
勿論、彼女もデカイ(失礼)。

今では
そんな私が買い物に行くのにあの坂を喜んで登って行っている。
そして、ジョギングも良いかな〜と密かに思っている。
2004年2月26日(木)
ダイアモンドプリンセス号
     
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  大きく見たい方
   クリックして
ダイアモンドプリンセス号の引渡しが今日行われる。
風は冷たいが、晴天に恵まれた。

2002.10火災にあったあの船だが、
実はこの船はもう1隻受注されていたサファイアプリンセス号だ。  
火災にあったあのダイアモンドプリンセス号は、サファイアプリンセス号として5月に引き渡される。

長崎の町並みにぴったりとマッチしたプリンセスダイアモンド号。
勿論、朝から大将と見に行った。
まず、一言【デカイ!】
まあ〜見事なこと!
綺麗だ!
もう、あれはビルだ。
三菱重工長崎造船所が誇る素晴らしい船だ。

私達は、誇りに思う。
私「こんがんとば作る三菱重工長崎は、凄かよね〜」
大将
「もっと皆が、見に来んば、特に幼稚園生や小学生、いや中学生も。そして、我が町の三菱重工を誇りに思わんば。」

前にも書いたようにクリスタルハーモニー号の時は、
就航前にお客様がクルーだったので乗船させてもらった。
それは、素晴らしかったがそれよりもっと豪華だと言われている。
クリスタルハーモニーのクルーは、動く町だと言っていたのを思い出す。

三菱重工長崎造船所並びに船造にたずさわった皆様へ
本当におめでとうございます。そしてお疲れ様でした。
無事、ダイアモンドプリンセス号の就航を願います。

いつの日かあの船で旅に出てみたいと夢見ています。
2004年2月25日(水)
良いな〜
大将は、娘がバイクの中免をとるに当たって
もう一つ条件をつけた。
あの自動車学校には、バイクの免許をとった人に土曜にコースを50分開放している。
先生の指導はないが、自由に乗って再訓教室と言うのが低料金で開催されてる。
それに最低でも1年間は、通うこと。
これが条件だ。
大将も未だに行って勉強している。
自動車学校のコースは、いろんな事が集約されている。
凄いと毎回感心しながら、発見をしながら通っている。

娘が、免許をとってからは二人で仲良く行っている。
帰ってくると私は、仲間はずれだ。
クランクがどうの、クラッチがどうの。
私には、ちんぷんかんぷんだ。
実は、私も原付バイクの免許を持っているが、乗れない。
自転車にもなれない。
前にも書いたように長崎では、自転車に乗れないのは街っ子の証なのだ。
そう自転車に乗れないのは、恥ではなく誇りなのだ。

二人は、原付なんて免許じゃないと言う。
長崎市内でそれも学科だけでとる事が出来る最後の試験の時にとった。
大将に教えてもらったが、ヤッパリ乗れなくて
大将から【あきらめろ】と言われ、その言葉に従っている。

しかし私にとって充分に身分証明をしてくれている。
勿論当たり前だが、ゴールドだ。

でも
やっぱりバイクの話を仲良く話している二人が羨ましい。
2004年2月24日(火)
歯磨き
大将も私もお風呂が大好きだ。
特に温泉は、大好きだ。
でも、なかなか行けないのが現実だ。
大将は、家ではお風呂に入らない。
そんなに小さくはない普通の風呂だ。
しかし、狭いと言って入らないし
入っても、お湯をあふれさせないと嫌なので私の胃が【あ、あ〜もったいない】と痛む。
財布も傷む。
だから大将は、銭湯に行っている。
私と二人の時は、チョット遠くのス−パー銭湯に行く。

先日もスーパー銭湯に行った。
私は寝湯(ジェットバス)に入っていた。
目の前の湯船に20代半ばの女性が、友達と二人で入って来た。
その一人の女性の手には、歯磨き粉付きの歯ブラシが握られていた。
その歯ブラシを口にくわえ湯船に入った。
湯船に浸かったまま歯磨きをし始めた。
私の目は、テンになってしまった。
【こら〜、何ばしよっとか〜】と心の中で叫ぶ。

それからその二人は、湯船から出て私の方にやって来て
【来るな、来るな、来るんじゃない】と心の中で叫ぶ。
私の叫び声は届かなかったのか二人は、来てしまった。
勿論、歯ブラシは口に銜えたままだ。
二人は、私の横に入り寝て歯磨きを始めた。
【ゲ、ゲ〜】と私は、心の中で叫んだが声にはならなかった。
私はフロントに電話して注意して貰おうかと考えたが
電話しに行ってる間に出てしまってらどうしようとあれやこらやと考えていた。
私が注意するにしても何て言ったら良いか思案していた。

すると直ぐに向こうの方から一人のおばさんが、タオルで前も隠さず飛んで来た。
おばさん「あんた、出らんね。何ばこんがん所でしよっとね」
     「あんただけの風呂じゃなかとよ」と大声で叫んだ。
私もあっけに取られるくらいだった。
彼女は、へらへらと笑いながら寝湯から立ち去った。

この話を直ぐに大将に話すと
大将「そいでお前は、そのおばさんに何も言わんやったとか?」
私「何て?」
大将「言って頂いてありがとうございました。って言わんばか〜」
私「だって〜」
大将「お前もそんがんおばさんのごと言いたかったとやろう?」
私「うん」
大将「じゃあ言わんばさ」

とても言える様な状況ではなかった。
おばさんは、ず〜とカッカして隣のおばさんと文句を言っていた。
2004年2月22日(日)
イライラ
今日、電車に乗った。
私の隣の隣の前に若い(25歳位)女の人が座っていた。
その女の人の横に紙袋が一人分の席を占領していた。
その隣にも同じ位の女の人が座っていた。
私が乗った頃は、まだ充分に席が空いていたが
次第に人が多くなってきた。
お爺さんが乗って来てその荷物の前に立ったが女の人は気付かない。
気付かない振りをしているのかも。

私は、イライラしながら
【こら、何ばしょっとか!荷物は、ひざの上に置け!】
【二人分席ば占領しとっとやっけん二人分払わんば】と心の中でず〜と叫び続けた。
ビーム光線も送り続けた。

私の光線は届かず、携帯電話のメールを夢中で打っている。
見ると左手の薬指に指輪をしているではないか。
しかし、あれは結婚指輪のような重厚な物ではなかった。
結婚はしてなくて恋人はいるんだ。
と私の推測は進む。

そのお爺さんは、私と隣のお婆さんが少しづつずって座る事が出来た。
お爺さんの前にその女の人は座っている。
お爺さんは座れたが、私の心のイライラは治まらなかった。

益々人が多くなって、多くの人が立っている。
隣のお婆さんがあのお爺さんに話しかけた。
お婆さん「荷物は、どけんばさね〜」
お爺さん「そうですよ」
お婆さん「言わんば、だいか言わんば」
お爺さん「だいか言わんば解らんとさ」
私も【そうだ、そうだ】と思って聞いていたが
【お爺さんとお婆さんが言わないと誰も言わないよね〜言えないよね〜】と私は思った。
私は、もう〜あの女の人に文句を言えない、言わないこの二人にまたイライラしてきた。

私も一生懸命に心の中で言う練習をしてみたが
まだ、私は言えない。

もう少しで乗り過ごすところだった。
2004年2月21日(土)
裏切り者〜
店の前に居ると近くの人が通りがかった。
近所なのに最近、なかなか会わなかった。

その人「ヤッパリ噂は、本当やったとね〜」
    「この裏切り者〜」と言い残して去って行った。

その人は、確かに近所で私と一二を争うデブでした。
別に裏切った訳ではない。
しかし、デブには言い訳がある。
【あの人がいるからまだイイヤ】と何故か思ってしまう。

街を歩いていると
 「ねえ〜、あの人と私とどっちがデブ?」とよく聞いていた。
心の中で【絶対にあっちがデブに決まっている】と思わないと聞かない。
それが女心と言うものなのだ。

大将から、たまに「お前かな」と言われると非常にショックを受ける。
その日一日ユウツになってしまう。

私「え〜」と言うと
大将「デブにもいろいろ形のあって違うとさ、体重だけじゃなかとぞ」
2004年2月20日(金)
声も痩せる?

一昨日、予約の電話があった。
「○○ですけど2名お願いします」
その声に聞き覚えがあったが、彼女はよそ行きの声を出し
チョット違うかな?どうかな?似てるけど?と思いつつ
予約を受け電話を切った。

私「明日の予約△△と思うんだけど」
△△と言うのは、○○さんの旧姓で
今でも△△と呼んでいる。
△△とは、高校・短大の同級生だ。

大将「そいなら言うやろう」

私「そうよね〜」
 「ヤッパリ違うかな?」

昨日が予約の日だった。
現れたのは、ヤッパリ△△だった。

私「やっぱりね〜、そうようやろうと思ったとさ」
 「何で言わんと?」
△△「だって、eikoと思わやったもん」
私「何で?」
△△「声の全然違うとやんもん」
   「英子の声はだみ声たい、そいが違うとやんもん」
確かに私の声は、良く言えばハスキー。
△△「声も痩せたとやろう」
私「そうやろう」
 「声帯に脂肪のたくさん付いとったとの取れたとかな?」
△△「そうやろう」

先日の事
いつも電話で話をしているお客様が私に「お母さんは?」と言われた。
娘と間違えられたのだ。

声もダイエットして若くなったのだろうか?

2004年2月19日(木)
卯の花コロッケ


16日に作った卯の花がまだ残っていた。
このまま卯の花では、食べれない。
もう飽きた。
そこで、コロッケにしようと考えた。

       ・・・・・作り方・・・・・
卯の花の作り方は、2月16日を見て下さい。
卯の花の中に溶けるチーズを入れ、俵型に形を整える。
それをベーコンで巻く。
これを小麦粉・溶き卵・パン粉を付ける。
油で揚げると出来上がり。
ソースは、シンプルにケチャップとマヨネーズ

まず、娘に食べさせた。
娘「ん、ん。美味しか〜。ん、ん。ほんと美味しかよ」
私「ほんと?良かった」

店が終わり、大将と私の夕食
勿論、おからのコロッケの事は内緒

私「食べて」
大将「こい、何か?」
私「良かけん、食べんね」
大将「おからやっか〜」
私「どんがん?」
大将「うまい」
私「美味しかろうが〜」
やった〜
大将「とうとう食べさせられた」
卯の花は、完売した。

でも
本当に美味しかった〜
2004年2月18日(水)
助けて〜


  ガブリ
  
昨夜、家に帰ってkikiに牛君とカエル君を合わせた。
私達は、kikiの驚く顔を見たくて
親子3人揃った時にと思っていたので昨夜になった。
大将は、ビデオをまわし私と娘は携帯で撮りまくり。
kikiは私達の期待を裏切り、全く何の反応も無かった。
されるがままだ。

先日
お客様「うちに2匹猫が居るんだけど、
     1匹の猫に牛の模様の洋服を着せたら
     もう1匹の猫が怒り出して凄かったんですよ」と言われた。

うちのkikiは、【またこの人達はバカみたいな事して〜】と
相手にしてくれないのだろうか?
チヨット淋しい〜
2004年2月17日(火)
代行運転
先日、
常連のお客様「飲みたかばってん車やっけんね〜、代行運転で帰ろうかな?」
私「大将が運転して送って行きますよ」
 「その代わり帰りのタクシー代は、出して下さいよ」 
私は、大将の意見も聞かずに即答した。
勿論、大将もきっとそう言うに決まっていると思っていたから。
大将は、大型二種の免許を持っている。
お客様は、お酒を飲まれ大将が運転して家まで帰られた。
勿論、大将は、タクシーのチケットを貰って帰って来ました。

それから数日後
その話を他のお客様にすると
「そいは、良かばい」
お客様「実は、今日飲みたかったばってん車やっけん飲めんしねと思いよったとこさ」
私「早か時間は、ダメですよ。 ゆっくりしとって下さいよ」
お客様「良かよ」

いつもは車を置いていらっしゃるお客様なのに
温泉に行った帰りに山葵にいらしたそうだ。
お風呂上りなのに大好きなビールを我慢していらしたんですね。
2004年2月16日(月)
卯の花


     ↑
クリックすると
作り方が載ってます

お客様から有名な店の【おから】を頂いた。
私は、おから料理を作った事がない。
一度挑戦してみたいと思っていたのでちょうど良かった。
HPで作り方を検索してみるが、
これを作ってみたいと言うのがなかった。

参考にして自分流の卯の花を作ることにした。
さて、何を入れようか?
デパートやお惣菜やさんで何が入っているか偵察に行った。
あくまでも参考に。
作っている途中で大将に味見をしてもらう。
私「どんがん?」
大将「マズイ」
私「はぁ〜」
確かに自信が無かったし、美味しい〜とも思わなかったが
そんな言い方は無いだろう。
私「絶対に食べさせん」
大将「一人で全部食べろよ」
私「解った、食べてやるよ」
娘「私は、食べたい」と小さな声で言った。
何て可愛い娘だ。
もう一度味を付け直すが、何かピンと来ない。
アクセントが無いのだ。
そこで、わざわざ枝豆と椎茸を買って入れてみた。
もう一度味を付け直すと
何と美味しいではないですか。
私「美味しかよ〜、あ〜美味しか」
大将「食べんば解らん」
私「食べたか?」
大将「良か」 注:この時の【良か】は、NOの意味だ。
大将は、意地でも食べない気だ。
娘と私は、美味しい美味しいと食べている。
が、まだまだ当分食べないといけない。
我が家の味がまた一つ増えた。

2004年2月15日(日)
やった〜
 
    ↑
マウスをのせて
【パペット・マペット】
今日、娘と買い物に行ったついでにゲーセンに寄った。
娘「欲しかとのあっとさ」
  「kikiに遊んであげたかけん良かね〜」
私「うん良かね〜、してみんね」
娘は、なかなかクレーンゲームが上手だ。
私は、全くダメなので初めからしない。
1回200円で見事牛君をゲット!
私「やっぱい、カエル君も欲しか」
娘「ん、ん〜難しか〜」と言いつつ
カエル君を狙って1回目、少し前に移動
2回目、もう少し前に移動
娘「もう〜ダメばい」
私「いいや、欲しか」
3回目、またまた前に移動
私「頑張れ〜」
4回目、お見事。
それも近くに居た牛君がくっ付いて来た。
結局、1,000円で牛君2頭・カエル君1匹ゲット!
ヤッタネ
2004年2月14日(土)
「食べさせたろうが」
長崎弁で「食べさせたろうが」と言う事は、
標準語で【食べさせてあげたでしょう】と言う意味
中年のご夫婦のお客様がいらした。
昔からの常連さんです。
奥様が「食べさせたろうが」と言われた。
ご主人「食べて頂いた。やろう」
「食べさせたろうがやったら猫に餌ばやりよるごたっやっか」と言われた
ん、ん〜長崎弁の難しいところだ
長崎弁は、偉そうに聞こえるところがあるかもしれない。
偉そうに言ってる訳ではないが
大将も「なるほどね〜そう言われたらそうかもね」と
長崎弁に【やっけん】と言う言葉がある
どういう時に使うかと言うと
【こいばしてやっけん】と使う
これをしてあげる】と言うことになる。
やっぱり、ちょっと偉そうかな?
2004年2月13日(金)
無事

昨日、娘は免許取得して早速バイクに乗ることになった。
木曜日は、太鼓の練習で稲佐山に登っている。
いつもは、メンバーの車に乗せて貰う。
遅れる時は、大将が送って行く。
しかし、
昨夜はお客様がいらしたばっかりでどうしても大将が送って行けなかった。

娘は、これ幸いにと「バイクに乗って行ったらダメ?」と大将に言った。
大将「良かよ〜」
私は、何で?【さっきとったばっかりのド初心者によう〜ま〜許すもんだ】
もう〜信じられんと思った。
娘は、大喜びで。
大将は娘を、バイクが置いてある所まで連れて行ったっきり
お客様をほったらかしにしてなかなか帰って来ない。
呼びに行くと駐車場で娘に特訓をしているではないですか。

私「出来んやったら、押してのぼらんばよ。無理せんとよ」と言って娘を見送った。
私達は、稲佐山に着くまで心配で心配で・・・
娘は、山に着いたら直ぐに「無事、着いたよ〜」と電話があった。
ヤッパリ、
私「帰りは押しておいでよ。何時間かかっても良かけんね」と言ったが

無事にバイクに乗って戻って来た。
私「初心者マークは付けんで良かと?」と聞くと

娘「そうよね〜、車は付けんばいかんとにね〜」
私「バイクは、100年乗っとる人もさっきとった人も解らんたいね〜」
大将「何でバイクは付けんとやろうね?」

2004年2月12日(木)
免許取得!

娘は、学科の受験の為大村に行った。
勿論、大将が送った。
お客様から【今日昼は?】と何人も問い合わせがあった。
その度に【実は、娘が免許をとるために大将が付いて行ったので昼は休みます】と私は、言い訳して謝った。
皆さん大将の事はよ〜く御存知なので解った下さった。
見事学科に合格し、直ぐ娘から電話があった。
「パパは?」と聞くと「今、点数ば見に行っとる」
95点でした。
大将が「100点の子の居ったとさ」「そいも父と娘さんのごたる人が点数ば見よったけん、娘さんですか?凄いですね」と言うと「はい」と胸を張って言われた。

ヤッパリ、ここにも親バカがいた。(失礼)
娘と大将は、「凄かね〜、100点よ」「本当に賢こそうな子やったもんね」と言っていた。

2004年2月11日(水)
バレンタインデー

まもなくバレンタインデーがやって来る。
私は、勿論大将にあげない。
訳は、あげても面白くないから。
今日早速大将に第一号のチョコが届いた。
何年か前は、凄いチョコの山だったが
年々数は、減ったが高級なチョコは残った。
前に増して高級なチョコになった。
大将は勿論、我々家族一同大喜びです。
今年も楽しみにしています。

2004年2月10日(火)
半分?

アーケードを歩いていると
前から山葵お客様がいらした。
お客様「いや〜本当に痩せたね〜」
私「はい」
お客様「半分になったろう?」
私「半分はなかですよ」
お客様「いいや、半分位になっとるよ」

いくらなんでも半分は、あんまりだ。
私は、そんなにブタだったのか?
悩んでしまった。

2004年2月9日(月)
娘の就職

去年の3月娘は、短大を卒業しました。

過去のひとりごとでご存知の人も多いと思います。
1年間いろいろなアルバイトをしてきましたが
やっとこの2月から
定職に付くことになりました。
就職先は、公共機関の嘱託です。

10ヶ月間良い勉強をさせて貰ったと家族一同喜んでいます。

2004年2月8日(日)
ひばり?

←何だと思います?
何とNHKの喉自慢の参加賞なんです。
良く見えないけど、鳥の下に【NHK】と書いてあります。
娘が先日、
長崎県松浦市民会館であった予選に出た時の記念品です。

風邪をひいて声があまり出ませんでしたが、何とか・・・
でも、ヤッパリ本選には出れませんでしたが(実力でしょう)
娘「これ、ママにあげる」と言ったのですが
大将の胸の方が似合うと思い、あげることにしました。
店にいらしたら、大将の胸に光るバッチが見れますよ。

もちろん、曲名は【天城越え】でした。

2004年2月7日(土)
ご報告

娘は、ある日原付バイクに乗りたいと言い出した。
もちろん、私は大大だい〜い反対。

ところが、
大将は【原付に乗るには良いが免許は、
中型以上の免許をとってからにしなさい】と言った


私は、許した訳ではないが大将が決めた事に逆らえない。
昨年の11月中旬から自動車学校に行き始めた。
11月は、何の仕事もしていなかったのが12月1月にはバイトが入り
なかなか思うように学校に行けなかった。

それが何と・・・
やっと昨日6日に1回目の検定で普通二輪(中型)の合格しました。

もちろんこの行事に大将が行かないはずがない。
と言うか・・・
入校の時も大将は行った。
私も行った。
それからも大将は、練習を殆ど見に行った。
行かない時は、先生方から
「今日はお父さんは?」と娘はからかわれたそうだ。
昨日は、あいにく私は長崎に行く事が出来なかった。

しかし
大将は、「お前が見れなかったのでビデオにとっとったけん」と
言ってくれた。
まだ見せてもらってないけど。

もっと詳しく昨日の大将の行動を説明すると
まず朝からいつものように市場に仕入れに行く。
それから娘を学校に送って行って店の準備をする。
カメラを持って学校に検定を見に行く。
この時は、娘が緊張するといけないので内緒で見る。
昼の予約のお客様があったので急いで店に帰る。
仕事を済ませ、3回目の学校に発表を見に行く。
発表がある前に先生方から「おめでとうございます」と
言われたそうだ。


娘にとって大変な1日でしたが
大将にとっては、とってもとっても大変な1日でした。

大将からの1言
「今やっけん言うけど、先生方に人より厳しくして下さいと頼んどったけん」と言った
娘は、「そうやろ〜もう卒業出来ると思った事の2回位あったもん」
大将「大事か娘やっけん、そう簡単に卒業させてもろうたら困る」

お陰様で1回目の検定で合格する事が出来ました。

しかし
私は、バイクに乗る事にはヤッパリ反対です。

2004年2月6日(金)
ランタン
今日で長崎ランタンも終わります。
今年の人では、58万人だそうで昨年より12万人も少なかったそうです。
初日から長崎は、雪将軍に襲われて・・・
見事なランタンが飾られている町並みに白い雪はとってもロマンチックなのですが
長崎は、雪に弱い。山の上のホテルに泊まった観光客の皆さんが、
山から降りれなくて困ったそうな。

本当に自然には、逆らえない。人間ってちっぽけなんだな〜と思う今日この頃す。
2004年2月5日(木)
お久し振りです

本当に久し振りですね。
年末年始忙しくてなかなかHPを更新できませんでした。
まだまだですが・・・
頑張っていきたいと思います。
宜しくお願いします。
まずは、ご挨拶(=^・^=)

すし 山葵【わさび】のおかみさんが言いたいこと言ってます。

  2004.6.1からのひとりごとが新しいページになりました。

ひとりごと